フットボール マンション

『フットボールマンション』は、各住人に一つのカテゴリー(部屋)を与えており、その中で自由に執筆活動をしております。 初めて当サイトにお越しくださったお客様は、是非、右記カテゴリーより『はじめに』及び『住人の自己紹介』をお読み頂ければ幸いです。記事の更新情報は公式ツイッターアカウントから随時発信されますので、是非フォローをお願い致します。

タグ:日本代表

こんにちは。連日ワールドカップで寝不足のフットボールファンの方も多いのではないでしょうか?

先日行われたグループステージ日本vsコロンビアを沼津リバーサイドホテルにて、初めてパブリックビューイングとやらで観ました。

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パブリックビューイングでアスルサポの皆さまと、そして知らない人と一緒に盛り上がるのはそれはまた面白いですね。
4年に1度のお祭りな感じがして「こういうのも悪くないな」と思いました。(試合中は怖い顔して見てたけどw)

後、面白かったのはアディッショナルタイムに入ってから
「ニッポン!」「ニッポン!」と盛り上がる会場で、アスルサポーターの皆様が一番気が気じゃない感じで戦況をじっと見守ってた事。

あの時間帯の怖さを知ってるし、目の前で同点ゴールやら決められるの見てきましたからね。。。
そういうのも面白いなと感じました。

…と余談はこれ位で


■1年間ホーム無敗へ vsザスパクサツ群馬■
ワールドカップ期間中も続くJ3リーグ。6/17に沼津ではザスパクサツ群馬戦が行われました。
昨年の6/18 当時首位の秋田を迎えた一戦以来、この日で丁度1年。
アスルクラロ沼津はホーム愛鷹で無敗を続けてきました。

無敗記録が1年を越えるのか?そして今季ホーム愛鷹無失点記録も更新するのか?そこにも注目が集まります。

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この日は父の日「お父さん感謝デー」という事で様々なイベント等用意されていましたー(ウェルカムボード参照)

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沼津のお茶、ぬまっちゃ&丹那牛乳のサブレ

◎今日の愛鷹オススメグルメ◎ 
なんか久しぶりに書くな(汗
最近、スタグル食べてなかった(というか今年まだ愛鷹2試合目という悲しさ)

久しぶりに何か食べようかなぁと思ったんですけど…迷う(笑)
友人が何人か  #アスルクラロ沼津ケバブ同好会 という謎のハッシュタグでケバブ食べてたけど(あれはあれで美味そうだった)
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ここら辺も捨てがたい

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で、結局おこたまというのを食べてみた!
お好み焼きたまごって意味なのか?? 味はそのまんま想像の通りです美味い。
サイズ的にも食べ歩きにもってこいで、おたふくソースを小袋でくれるのでお好みでソースが調整出来ます(ただし、この小袋がちょっと行き場に困る)
300円だったような?? ちょっとだけおなか減ってるけど、ガッツリは良いかなって時にはオススメな感じです。

この日は日本vsコロンビアが近かった事もあってコロンビア料理も出店してました。(写真撮り忘れた)

そういえば、ゴール裏にもビールの販売出来たんですね。前節からだったかな?

「沼津港にお店ある所ですよね??」って店員さんに聞いたら、元々はそこで、今は修善寺から出荷してるらしいです。(港の所のお店は今もあるのかな?)

沼津ラガーメインスタンドにも出店してると思うので、アウェイサポーターの皆さまも是非。

(車で来たので今回は断念しました。)
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■愛鷹の神様と沼津の守護神■
久しぶりの愛鷹。芝の色も青く、梅雨の合間の快晴で気温はちょっと暑い位。

試合は早々に徳武選手がPKをGETすると、青木選手がキッチリ決めて先制。その後も染矢選手、太田選手のDFの裏などを狙う足を使った攻撃で押し気味に試合を進め前半を終了。

後半に入り、群馬はFWの大久保哲哉選手を投入。ターゲットマンを作った事で沼津ゴールに襲い掛かったものの、クロスバーを叩くシーンと古巣との対戦に燃える沼津GK牲川選手のビッグセーブもあり中々ゴールネットが揺らせない群馬。
沼津は攻撃に耐えながら、途中で中央に競り合いに強い沓掛選手を入れ普光院選手を左へ。
84分に太田選手がチャンスをモノにすると、FWに途中から入った坂本選手をCBへ下げ5バックへ以降。最後まで締め切って2-0で快勝した。

これにより、先述の1年間ホーム無敗。そして今季6試合ホーム無失点記録という素晴らしい記録も達成した。

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試合後のインタビューで吉田監督は無失点について「愛鷹の神様が守ってくれた。」
とちょっとお茶目なコメントをしていた。
実際クロスバーに当たるシーンやラッキーな部分もあったが、最後まで守備を緩めずにやったからこその無失点だったのは明らかであった。
(しかしこれはいつか記録は途切れるものだから、あんまり重圧掛けない様に監督の配慮だったのかもしれません)

■伊豆の国市とのパートナーシップと愛鷹の景色■
7/1の第16節 セレッソ大阪U23戦。
アスルクラロ沼津は伊豆の国市とパートナーシップ協定を締結し伊豆の国市在住・勤務の方を無料招待するそうだ。

群馬と対戦したこの日、そんな伊豆の国市田京に店を構える中華料理店「いーある」さんが試合を観に遊びに来てくださったのだが

「GKの子が試合後挨拶に来た時、彼の応援歌をサポーターが歌ったのを凄く喜んでいたのが「良いなぁ」って思った。こういうの見ると応援したくなるよね」

という様な話をしていたのが、凄く嬉しかったし印象に残った。

沼津のゴール裏は、ご存知の方も多いと思うがブーイングやヤジをしない。
それをするなら、もっとポジティブな声援を送る。

時には、「そんな甘い事を」とか「調子が良いからそんな事を言えるんだ」みたいな事を言う人もネットやらでたまーにだけど見かける。

前回のHondaFC戦の記事でも書いたけど、アスルクラロ沼津は決して良い歴史ばかりではない。
鹿児島に及ばなくてJリーグ入り出来ず涙を流した。1万人プロジェクトと題し集客した試合ではソニー仙台やHondaFCに敗れる事もあった。去年の最終戦では三つ巴の優勝争いで結局3位だった。

でもここまで来た。そしてこれからその先へ目指す。
だから、そのままの沼津の応援スタイルでテッペン取ってやれば良いって思ってる。
失敗する事もあるだろうし、やっちまった!って感じの事があって反省したとしても立ち止まらずにみんなで行きたいね。笑顔で。

後、ハーフタイムは今日も子供の笑顔が見れた事が何より嬉しかった。
さて、今夜は沖縄で琉球戦。厳しい環境でどこまでやれるか、楽しんでいきましょうー!

今日、日本では日付が変わると共に開幕したロシアワールドカップ。開幕戦はロシア代表のゴールショーとなりました。
我らが日本代表は直前の監督解任等、色々騒がれましたが今出来る事を全てぶつけて欲しいものです。


このワールドカップ開催に伴いJ1リーグは中断期間に入っていますが、J2、J3リーグと国内サッカーは裏で行われています。

そんなリーグ戦と共に天皇杯は2回戦までが終了しました。
去る5/13 アスルクラロ沼津も天皇杯を目指し、静岡県代表を決めるスルガカップ決勝を藤枝総合にてHondaFCと戦いました。
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■戦いたかった相手HondaFC■
今年個人的に一番対戦を心待ちにしていた相手がこのHondaFCでした。
恐らくその気持ちは例え天皇杯に出て、勝ち上がった先で鹿島アントラーズと戦っても変わらなかったと思います。

JFL2年目からアスルクラロ沼津を見始めた私にとってもHondaFCというチームは特別な相手。
そして絶対に乗り越えたい、乗り越えなければならない相手。
JFL時代手も足も出なかった。JFLラストイヤーのHondaFC戦も防戦一方だった。

昨年のスルガカップ、HondaFCがベストアマチュアで静岡県予選に居ない中、アスルクラロ沼津は静岡県代表の座を掴んだ。その先にあったのは、京都との熱戦、マリノスへの挑戦だった。
「あのステージにまた立ちたい。またあの景色の中で今のアスルクラロがどこまでやれるのか戦いたい。」
一度覚えてしまったあの感覚を簡単に譲り渡したくない。

そして、この段階でアスルクラロ沼津はJ3リーグ1位、HondaFCは前節敗れJFL2位に後退したものの(この試合の直後に再度1位に浮上した)お互いに良い状態でこの試合を迎えた事。

全ての舞台は整っていた。何より、試合前にアスルクラロ沼津のコールリーダーから
「HondaFCには今まで0勝7敗1分(1得点18失点)かもしれない。でも自分達はJ3リーグの厳しい戦いを沢山戦ってきました。そろそろ勝ちたい!」

この言葉が凄く刺さりました。
J3の洗礼を浴びた愛鷹での開幕戦福島。ATに追いつかれた相模原戦、高温多湿の琉球戦、秋田の熱戦。
アウェイの厳しさを見せられた栃木、鳥取、藤枝や長野戦。
そして最終戦の優勝をかけた栃木との激闘。
2017シーズンのアスルクラロ沼津は厳しい戦いも沢山経験してきた悔しい想いも山ほどしてきた。

この日、アスルクラロ沼津のゴールに襲い掛かった児玉選手や大町選手、遠野選手等、HondaFCの選手も確かに素晴らしい選手。
でも、昨年アスルの前には色々な選手が立ちはだかってきた。秋田の田中選手、相模原のジョン・ガブリエル選手。何より栃木のペチュニク選手。天皇杯ではオリス選手や斎藤学選手、ウーゴ・ヴィエイラ選手。

色々な強敵と戦ってきた事をこの言葉で思い出した。JFLからJ3に昇格して1年。ここまでの全てをHondaFCにぶつけれれる事がとても幸せなことに思えた。


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キックオフが近づくにつれて、雨脚はより強くなった。
それでも応援エリアの芝生席には多くのアスルサポが集った。

試合が始まると序盤はHondaFCが攻勢に出た。縦に速いボールから児玉選手と遠野選手がゴールに迫る。
体格に秀でる児玉選手を必死に徳武選手や藤原選手が抑える。沼津の右サイドを抉ろうとする遠野選手やDFを振り切ろうとする児玉選手を右SBの熱川選手を含めたDF陣のカバーリングで何とか抑え込む。

時間と共に速攻が決まらなくなってきたHondaFCはボールを保持して厚みのある攻撃を展開。

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HondaFCの攻撃にはいわゆる「スイッチが入る」瞬間があってサイドからパスを横に回して後ろが上がってくる時間を作り、中盤と最終ラインのスペースとSBの外に一気に人が流れ込んで来て相手DFのマークの受け渡しでのズレをついってきます。
それでも、沼津もそこをしっかり狙い目にしていて、中盤の普光院選手や富田選手がこのタイミングを付いてボール奪取。

HondaFCは前に人数をかける分、後ろは薄くなるので前半途中から徐々にではありますが、畑選手・田中選手の前線が機能して前を向ける時間が増えてきました。

■再び立ちはだかった男■
試合は正に互角の戦い。むしろ後半に至っては徐々にリズムをつかんだ沼津の攻勢な時間が続きました。
何より嬉しかったのが、沼津のサッカーがここまで積み上げてきた「沼津らしいスタイル」のサッカーだった事。
しっかり守って前へ長いボールを供給しながらチームを押し上げる。普光院選手、富田選手が太田選手が、そして時には最前線の畑選手が守備にも走り相手に自由な状態で蹴らせない。

応援しながら、久々の現地観戦だった事もあってか「これが沼津のサッカーだよな…」とグッとくるものがありました。

それでも中々ゴールネットを揺らせずにいた沼津にあの男が牙をむいた。

後半も残り僅か、HondaFCボールのスローインになった瞬間、本当に少しだけマークの付きが遅れた。
百戦錬磨の男はこれを逃してはくれなかった。大町選手のフリックを叩きこんだのは、JFL時代最後の戦いでも決勝点を挙げた古橋達弥選手だった。

懸命に同点ゴールを目指した沼津だったが最後までゴールネットを揺らす事は出来なかった。
全国への扉は閉ざされた。そしてHondaFCには僅かに届かなかった。
悔しかった。それでもギリギリ届かなかったのが現実だった。

■いつかこの地に立つ為に■
6/6 IAIスタジアム日本平に私は居た。
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天皇杯に出場出来たら鹿島まで行くんだ!と休み申請を以前からしていた。
HondaFCとの戦いで天皇杯出場を逃したのでFC今治の試合を観に来たのだ。

IAIスタジアムで初めてエスパルスを敵に回す時はアスルクラロ沼津で

清水エスパルスをキッカケにJリーグを見始めた自分にとって、そう以前から考えていたがJリーグを目指す今治をこの日は応援しようと決めた。


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FC今治は勇猛果敢に戦った。元金沢の太田康介選手や元ソニー仙台の有間選手が居る事に驚いた。
ポゼッションしながらJ1相手に臆することなく闘った。通用していた部分と足りない部分がハッキリわかる試合だったが、持てる全てをぶつけていた。

J1の清水は初めて対戦相手として見たが、やっぱりJ1のチームは部分部分で上手さが段違いだった。危うい場面もあったが、GK西部選手のシュートコースの切り方は抜群だったし、決勝点のシーンは速いクロスを正確に捉える辺りは流石だった。

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FC今治のサポーターの皆さま
突然の応援参加にも関わらず、暖かく仲間に入れて頂きありがとうございました。
JFLでの時期も被っておらず、縁は無いチーム同士ではありますが、試合後にお話させて頂いた時にも交わした言葉「沼津で、今治で会いましょう!」
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今治の戦いを見て、改めて来年リベンジして天皇杯に出たいと思いました。

次は沼津のユニフォームを着て、まだ見ぬ強敵に挑みたい。
何でも思うようには行かないかもしれない。でもそれに立ち向かって、前を向いていつか手に入れると


日本サッカーは様々。アマチュアにプロ、目指す場所も違うかもしれません。

余談ではありますが、藤枝でのHondaFC戦の時、隣接のグラウンドで試合をしていた沼津西高校の応援をアスルクラロ沼津のサポーターが一緒になって応援し0-2から追いつきPK勝ち。(自分はPK戦の時に見に行ったのでそこしか見れませんでしたが)

「最後まで諦めない」大事な事を改めて思い出させてくれました。ありがとう!

沼津西高校はアスルクラロ沼津のGK福留選手が指導に参加されており、偶然にも同日に会場が重なる。そう言った偶然が繋がりを産んだ事は同じ地で活動しサッカーを愛する仲間としてとても良いなと思いました。


高校生もJ1のプロも、その全ての頂点が日本代表だと思います。
様々な物議を呼んだ監督交代、立ちはだかる強敵。あれこれ言っても過去には戻れない。
今出来る事全てをぶつけてきてください。頑張れ日本代表。

あーだ、こーだ…では無く、戦うチームが自分は見たい。

皆さん、こんばんは。
トリックスターと呼ばれたことはないけど呼ばれてみたい、夜磐です。

ジュビロ磐田に元ギリシャ代表DFパパドプーロスの加入が発表され、
磐田サポが多数小躍りしていらっしゃる夜ですね。
ダンスホールはこちらでございます。


さて、今日の話題はサッカーユニフォーム
見るのが趣味な人も、プレーするのが好きな人も、
関わり方はどうあれ、趣味を聞かれて「サッカー」が答えに
入ってくる人ならば、高確率で何かしら一枚は所有して
いるであろうサッカーユニフォーム。
私も、何枚かのユニフォームを所有しています。

そこで今夜は、私が所有しているユニフォームを紹介・・・
という名の自慢大会をします。
一応、流通量が少ないユニフォームも所有しているものでして。

先ほど、「高確率」って打とうとしたら「降格率」と変換されて
ちょっとウンザリしていますが、テンション上げていきましょう!

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■ジュビロ磐田

2000年 1st
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00年と01年の2年間着用されたモデル。
00年と01年ではデザインは同じだが、ワッペン構成などに微妙な違いがある。
自分が所有しているのは、チャンピオンワッペンが刺繍されている00年仕様。
ベースは水色だが、肩から脇腹にかけて大胆にネイビーブルーを配し、
縦のラインを加えることでよりシャープなイメージを与えている。
生地は光沢のあるサテン系の生地。ナイトゲームで照明に照らされると
水色には見えないほどに明るく発光することがあった。
肩~袖のネイビー部分はサテンだが、
脇腹のネイビー部分はメッシュ系の生地が使用されている。
黄金期を彩った思い出補正もあってか磐田サポーターの間では
歴代ユニフォームの中で最も人気が高く、リリースから16年が経過した現在でも
オークションや古着屋などで高値で取引されている。
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マーキングは9番。
当時の9番は、現在アスルクラロ沼津に所属している中山選手。
背中の"Kincho"が、時代を感じさせる。
昔はジュビロ磐田のスポンサーだったんだよ・・・・!
といっても、もはや覚えていない人のほうが多そうだけどね。


2001年 2nd
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上記1stモデルが採用された時期の2ndモデル。
1stが縦縞なら2ndは横縞、と言わんばかりに、横のラインが昇華でプリントされている。
1stモデルは脇腹にメッシュ生地が使われていたが、こちらは全てサテン系。
通気性?なにそれ、美味しいの?と言わんばかりの強気なコンセプトが時代を物語る。
1stモデル同様、こちらも00年と01年で微妙な違いがあり、自分が所有しているのは
リーグワッペンが通常のものとなっている01年モデル。
背面もスポンサー名ではなく、選手の名前がプリントされている。
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ちなみに、このユニフォームのナンバープリントはオフィシャルではなく、
購入後に再現マーキング業者にプリントして頂いた模造マーキング。
枠の色がオフィシャルと微妙に違うが、まぁ許容範囲かと。
1stモデルほどではないがこちらも人気があり、現在手に入れようとすると
それなりに資金が必要となる。
ちなみに私はこのユニフォームを2着所有している。
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マーキングのないタグ付き新品。個人的にけっこうな自慢だ。


2002年 1st
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ジュビロ磐田が、Jリーグ史上初となる1st、2nd両ステージ優勝の完全優勝を
成し遂げた年に着用されたメモリアルモデル。
もともとは前年に予定されていた世界クラブ選手権向けに発表されたモデルだったが、
大会スポンサー倒産により大会自体が中止となり、お蔵入りになるところであった。
しかし大会中止の決定がグッズ発売後であったためお蔵入りにさせることができず、
苦肉の策として翌年のリーグ戦に投入された。
基本的には磐田のユニフォームの傾向を踏襲した無難なモデルだが、
チーム史上初めての丸襟を採用しており、多少の冒険心は見え隠れしている。
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実は、時系列的には夜磐が初めて購入したのがこのユニフォーム。
背番号がマーキングされていないのは、当時筆者は中学生で、
マーキングを頼めるお金を持っていなかったため。
この年は1試合しかスタジアム観戦をせず、また次の年には新しいモデルを
背番号マーキング付きで購入したため、このユニフォームは数回しか着用していない。
まだ綺麗な状態だろうと思っていたのだが、写真を撮るために引っ張り出したら
胸スポンサーのマーキングが経年劣化で傷んでいた。ちょっと悲しい。


2003年 1st

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左右非対称の襟、通称「チャイナカット」で親しまれた03年モデル。
PUMAのグローバルモデルであり、イタリア代表を筆頭にPUMA社製のユニフォームを
採用していたチームがこぞって導入したため、世界的な知名度が高いデザインである。
「力強さの象徴」であったはずのネイビーブルーを採用せず、水色ベースに刺繍による白い
ラインのみという大変シンプルなデザインながらも、コンセプト面では大いに冒険している。
前年にリーグを制しているため、リーグワッペンはチャンピオン仕様。
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筆者が所有しているユニフォームは背中に選手名がプリントされているが、
実際に使用されたモデルではスポンサーの「Kincho」がプリントされていた。
全体的にのっぺりしている印象を受けるが、通気性は高く着心地は快適。
また、フットサルや試合観戦などで10年以上の酷使に耐えたので、
どうやら相当頑丈な造りになっていると思われる。
私とリアルで絡んだことがある人は、これを着用している私を
高確率で目にしたことがあるはずだ。
現在ではさすがにガタが来ているので、第一線を退き隠居中。
コレクションの一部として、タンスの奥で眠っている。


2007年 1st

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07年に着用された1stモデル。
PUMA社のテンプレートに磐田カラーが配色された、グローバルデザインである。
全体がメッシュ系の生地で構成されており、通気性は抜群。
陽の光の下で鈍く輝く高貴な水色は、まさしくサックスブルーと呼ぶに相応しい。
前年に酷評された「飯田産業」のスポンサーロゴは、一年経って見慣れたせいか
前年ほど悪辣な評価を受けることはなく、サポーターに受け入れられた。
夜磐が所有しているジュビロ磐田のユニフォームの中で、唯一のサイン入り
試合前イベントで、直筆で記入してもらった。しかしサインの書き手は
ナンバープリントされている加賀選手ではなく、川口能活選手と松浦拓弥選手。
洗濯して色落ちするのが嫌だったので、着る機会は少なかった。
それでも記事がヨレってしまっているところを見ると、
この時期のメッシュ系の生地はあまり丈夫ではないのかもしれない。
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背中には伝統のネスレ社のロゴが刻まれているが、悲しいかなこのユニフォームが
着用された07年に菊地事件が発生し、その影響でネスレ社が撤退してしまったため、
ジュビロ磐田のユニフォームにネスレのロゴが入ったのはこのモデルが最後になってしまった。
マーキングは、現在浦和レッズに所属しているDFの加賀健一選手。
このユニフォームを着て、15番のタオルマフラーを首に巻き、
自作の加賀選手ゲーフラを掲げて試合を見ていた
自分は、
どこからどうみても加賀健一オタクであった。


2012年 1st

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磐田が久しぶりに持ち出してきたオリジナルデザイン。
シャツはテンプレートだが、チーム史上初めて1stモデルに横縞を採用した。
右腹部にはチームエンブレムが透かしでプリントされている。
デザインが発表された当初はあまり評判が良くなく、「ラグビージャージのようだ」と
評する声もあったが、実物が出回ると受け入れられ始め、
最終的にはそれなりの枚数を売り上げた。
このモデルで初めて、スポンサーの社名プリントがシート圧着から昇華プリントに進化。
経年劣化により剥がれることがなくなり、好評を博した。
ナンバープリントについては、依然としてシート圧着が用いられている。
この頃から、胸スポンサーのYAMAHA、背中のSALA、袖のホトニクスが定着した。
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マーキングは、現在アルビレックス新潟に在籍している山崎亮平選手
次世代ジュビロ磐田のメインキャストの一人として大いに期待していたのだが、
度重なる病気や怪我、ライバルの台頭などで今一つエースにはなりきれず、
昇格失敗に伴い新潟に移籍してしまった。磐田が昇格した時に
「大井や康裕に着いて帰ってこないかな」と期待したが、残念ながら帰還せず。


2013年 コンフィット

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こちらは厳密にはユニフォームではなくコンフィットシャツだが、
番外的に取り上げる。2013年に販売されていた、オフィシャルコンフィットシャツである。
ユニフォームは高いから買えない、けどチームシャツを着て応援したい!という
方が購入されるのが、廉価版ユニフォームともいうべきこのコンフィットシャツ。
呼称については、もしかしたらチームごとに差異があるかもしれない。
自分はコンフィットシャツは買ったことがないのだが、実はこのシャツは
プレゼントで頂いた思い出の品。遠方に引っ越すことになり、
会う頻度が減ることになった友人一同から、お別れ会でプレゼントしてもらった。
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一生大事にしよう・・・と思っていたのだが、お別れ会後に自分の引っ越しが
取りやめになった。磐田は残留に失敗したけど、自分は残留しちゃいました♪
このシャツを贈ってくれた仲間達から詐欺師扱いされたことは言うまでもない。
まぁ、道理だけどね・・・・。


2016年 1st

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PUMA社の伝統的な「アパレルフォームストライプ」を採用した、革新的デザインの最新モデル。
磐田のJ1復帰を彩る記念すべきユニフォーム・・・になるはずだったのだが、
磐田ファンを筆頭にJリーグファンからは「ダサい」と酷評されている。
グラデーションにするのは悪くないが、スラッシュで表現してしまったのが悲劇
ネイビーの割合も高すぎる。PUMAジャパンのデザイナーが持ち込んだものと
思われるが、それにしたってストップをかける人間が社内にいなかったのか。
今季のJリーグは、衝撃的にダサいデザインをリリースするチームが他にもあったので
集中砲火を浴びることはなかったが、ヤバさではTOP3には入るだろう
このダサさでも、直近2、3年では一番の売り上げを記録したらしいので、
昇格特需というものの効果を思い知らされる。
実際、自分もダサいと思いつつ買ったわけだしね。
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マーキングは不動のエース、ジェイ。今季の磐田は、
ジェイがいるかいないかで別チームになると言われている。
要は、"ジュビロ前田"が、"ジェイビロ磐田"になっただけの話なのかもしれない(笑)


■日本代表
99-00
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日本サッカー界が右肩上がりの成長を続けていた時期に着用されていたモデル。
99年のワールドユース準優勝、00年のシドニー五輪ベスト8、同年のアジアカップ優勝など、
世界への足掛かりとなった栄光の記憶には、このユニフォームは欠かせない。
選手用のエクイップメントモデルだが、ロゴがワッペンで圧着されており、
時代を感じさせる。そもそもワッペンも旧デザインだし。
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思い出補正もあり、個人的に日本代表ユニフォームの中では最も思い入れのあるモデル。


14-15
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いきなり時代は飛び、ブラジルW杯で着用されたモデル。
購入予定はなかったのだが、伊野波がメンバー入りを果たしたため急遽購入した。
ジャパンブルーはいつも通りだが、サーモンピンクによるアクセントは
日本代表史上初めてという冒険ぶり。背面のラインは「円陣を組むと円になる」
というギミックになっているが、懲りすぎて若干滑っている感が否めない
前面はエンブレムを中心に放射状にラインがジャガードでデザインされている。
悪くないデザインだと思うが、どことなく旭日旗を連想させる。
このユニフォームが発表された時期は、某国と試合中の旭日旗云々で揉めていた
時期であり、よくこんな挑発的なデザインを採用したなぁと驚嘆した。
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マーキングはもちろん伊野波。東京のKAMOで購入しそのままマーキングを
お願いしようとしたのだが、なんと伊野波のマーキングセットが
関東のKAMOのどの店舗にもない
と言われたので腰を抜かした。
ワールドカップの正規メンバーなのに、マーキングを置いてもらえないのか・・・。
結局、マーキングセットを関西の店舗から取り寄せてもらってようやく完成
無駄に思い出深い一枚になってしまった。
ジュビロ磐田所属でワールドカップに出るのは、間違いなく伊野波が最後になるだろう。


その他

フェイエノールト
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現在札幌に所属している元日本代表にして永遠の天才サッカー少年小野伸二が、
初めて海外に渡った際に所属したオランダのフェイエノールトのユニフォーム。
フットサルに参加したところ、鉄筋の柱に激突するほどのガッツ(笑)を見せたことを
評価され、その日のMVPとして勝ち取った賞品。
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自分で買ったものではないので、残念ながら年代は特定できなかった。


ヴェネツィア
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ジュビロ磐田の名波監督が現役時代に1年だけ在籍した、当時セリエAの
ヴェネツィアのユニフォーム。メーカーは cronos 。
こちらについては以前記事を書いたので割愛。



・・・・



以上です。
コレクターの方には「な~んだ、大したモン持ってないじゃん」と
思わそうですが、ユニフォームは単体よりも
そこに込められた想い出や魂によって、より美しく輝くものです。
逆に考えれば、どれだけカッコイイデザインのユニフォームでも、
思い入れのないユニフォームには、あまり価値を感じないかもしれません。

皆さんが所有しているユニフォームにまつわる想い出や
デザインあれこれのお話を聞いてみたいものですね。

以上です。







新たにSC相模原に加入した元日本代表GK 川口能活のトークショーに出かけてきました。
取り急ぎ写真をアップ。

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年を重ねて大ベテランになりましたが、清潔感のある端正な顔立ちは変わらず健在で、女性ファンが増えること間違いありませんね。
昨年まで在籍した高原は男受けするタイプだと思いますが、川口能活はまた新しいファン層を切り開いてくれそうです。

日本を代表するGKが相模原に加入したきっかけは、高校時代の先輩後輩関係。
サッカーに限らず人脈の大切さを改めて感じさせますね。



誰か「今でも炊き込みご飯のこと、味付けご飯って言ってますか???」って聞いてください。
なーんてな。

こんにちは、ようやく先週故障中のPCが直り、久々の投稿となります。

今回は、試合…では無く、三島市で行われたコチラのトークショーに参加してまいりました。 
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夢 ACTION 『一度きりの人生』 
日本サッカー界のトップを駆け抜け今も挑戦し続ける2人をゲストに迎え、夢を抱き続ける大切さ、自ら行動を起こす大切さから、スポーツと夢及びまちづくりに関してのトークイベント。

奇しくも、前日の7日に沖縄で沖縄SVの会見をしたばかりの高原直泰氏には、特に大きな注目が集まりました。


受付開始の18:00過ぎに会場に到着。平日ながら既にロビーには沢山の人。年配の方から女性、サッカー少年に至るまで年齢層も様々でした。
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会場に入ると、 SC相模原の今シーズンの試合をまとめたPVがエンドレスで流れてました(笑)
曽我部選手がドフリーでヘッド外したシーンは外してあげなさいよw 
場内では「本日満席の為、前から詰めて座ってください」とのアナウンスが、実際イベント開始時刻の19:00には会社帰りの方々も集まりほぼ満席になりました。

一通り、祝辞等があった後、いよいよイベントが始まります。大雑把ではありますが、進行の流れに沿って書きたいと思います。
※本イベントは写真撮影OKという事で、少しだけブログ用に写真を撮らせていただきました。
 
まず、この日トークを進めるコーディネーター役の藤田義行氏、SC相模原代表である望月重良氏がご登壇されます。
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 藤田氏は、三島市の商工会議所青年部・副会長。
そして、数々のアスリートの治療もされているトレーナーの方です。詳しくはコチラからどうぞ  
望月氏とは高校時代から、高原氏とはドイツHSV時にはドイツにパーソナルトレーナーとして滞在され、この日の主役2人とは旧知の間柄と云った所でしょうか。

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そして、J3・SC相模原代表の望月重良氏です。
もう引退されてから何年も経っているので、若い世代では知らない人も多いかもしれません。
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話はSC相模原を創設される所から始まります。
恐らく、この事は望月氏の著書やSC相模原のサポーターの方々が僕よりよほど詳しいでしょう。
特発性大腿骨頭壊死症という国の特定疾患を患い選手を引退、監督かコーチでもやるかと思ってた頃相模原で友人と食事をしていた際。
お酒の席ではあったが店の大将に「相模原は何もないから週末に子供を連れていける様なサッカーチームだったりを作って欲しい」と言われ、お酒の席でもあり冗談かとは思ったが何度も真剣にお願いされた。
その後、 改めて相模原市について調べてみたが、ポテンシャルがあると感じ、監督業の夢を一旦封じ、県3部からJリーグ入りへ…大変な苦労をしたが7年間駆け抜けてきた。

最初の試合、観客は50人前後だった。それが今はギオンススタジアムに毎週3,000人のお客様が来てくれている。
県リーグに参戦し結果を残していく事で、行政に何かをお願いしたりされたり。徐々にではあるが地域に認めて頂いて来た事。
SC相模原というサッカーチームが地域や相模原市に1つのツールとして地域振興出来る存在でありたい等、スポーツでの地域振興について語ってくださいました。


更にここで、三島市の産んだスーパースター高原直泰氏が登場し3人でのトークが始まります。
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前日に沖縄SVの会見を那覇市でしたばかりの高原氏。自ずとその話が出るのか…注目が集まりました。
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高原氏の話は、まず中学生で地元三島市を離れ清水市にサッカー留学する所から始まります。
小学生ながらに母親(父親に言うのは怖かったらしい)に清水の中学(東海大一中)に行きたいと決断し伝えた事。
私学の学校、更に毎日駅まで送り迎えしてくれたエピソードから夢を持つ子供への親の愛。
「子供の頃は当たり前だと思っていたけど、今思うととてもありがたかった。」と両親に感謝している事。 
*この日は高原氏の親御さんも会場に居たらしいです。 

ジュビロ磐田に入団、周りが上手くてちょっとトラップやパスをミスすれば周りがミスしなから目立つ。練習から必死でやった。当時のジュビロは練習からそれが当たり前のチームだった。高いレベルに身を置くことの大事さ。
(高原が加入した頃、ジュビロ磐田は黄金世代、ブラジル代表のキャプテンも居れば、代表選手も沢山)
アンダーエイジでは世界と対等に戦えている自信があった、だから早く海外へ行ってそれ以降に付く世界との差を埋めたかった事。
ポーランドからフランスへ移動の飛行機でエコノミー症候群になり、日韓W杯に出られなかった。W杯を経て世界へ羽ばたくつもりであったが、頭を切り替えこの年にJリーグで得点王・MVPに2冠を取りアピール。HSVと1860ミュンヘンからオファーを受けHSVへ移籍した。
※エコノミー症候群が日本で認知され医者に行くと感謝されるらしい 

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望月氏の清水商業時代等も引き合いに出し、
「うまいやつとやれば自分も上手くなるよね。手は届かないんだけど、距離が縮まる感じ」
「失礼な話だけど、下手な奴とは練習しなかった(笑)」

等、笑いも絡めながら質問コーナー等話は進む…

挑戦する原動力は?
 望月氏「向上心」  高原氏「好奇心」

悩んだら誰に相談する?
 両氏「自分で決める。相談しない」

壁にぶつかったら?
 高原氏「サッカーで壁を感じたことがない。まだ俺が下手くそなだけもっと練習する」


で、皆さん注目の沖縄SVの事ですが…まぁ話してくれました。

元々、柔道の野村氏、ラグビーの福永氏らと競技問わずに育成出来る環境を作るプロジェクトを考えていた。(この点に関しては以下の記事を参考にしてください)
沖縄SV立ち上げの高原は「代表兼監督兼選手」…県3部スタートも将来的なJリーグ入り視野  
 
その中でまず、モデリングケースとして沖縄SVを立ち上げる事になった。
また沖縄を選んだ部分にも、地元での育成という部分に対する思いを感じさせた。
現地の方々と話をさせて頂いた際に、「優秀な子達が地元を離れて県外へ出ていって行ってしまう。」地元の受け皿になるチーム・施設を作りたい。そう言った思いもある様でした。
トークの中で藤田氏が「本当、高原さんは地元の三島市を愛してる」と言った通り。沖縄の現地の人達の地元愛を受けれるチームになって、ゆくゆくSC相模原と対戦出来るクラブになると良いですね。

高原氏が新たに踏み出した挑戦・夢の話。そして望月氏の今後の夢はSC相模原をもっと、そして相模原市を世界にアピールできるクラブにしていく

といった感じでお二方の未来への夢をうかがい、聞きたい事はまだまだ沢山ありましたが90分という楽しい時間はあっという間に終わってしまいました。


何ともうまく伝わらない文章で申し訳ないです。
今回は、夢ACTIONと題しテーマに基づいた(夢・行動・地域振興)点にフォーカスし話が展開されてました。 

トークイベント等に参加するのは初めてでしたが、またこういったイベントがあれば参加し私自身もまた刺激を受けたいと感じました。

今回この様なイベントを無料で開催された三島市商工会議所青年部の皆さまに感謝です。 

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