フットボール マンション

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タグ:ユニフォーム

皆さん、こんばんは。
トリックスターと呼ばれたことはないけど呼ばれてみたい、夜磐です。

ジュビロ磐田に元ギリシャ代表DFパパドプーロスの加入が発表され、
磐田サポが多数小躍りしていらっしゃる夜ですね。
ダンスホールはこちらでございます。


さて、今日の話題はサッカーユニフォーム
見るのが趣味な人も、プレーするのが好きな人も、
関わり方はどうあれ、趣味を聞かれて「サッカー」が答えに
入ってくる人ならば、高確率で何かしら一枚は所有して
いるであろうサッカーユニフォーム。
私も、何枚かのユニフォームを所有しています。

そこで今夜は、私が所有しているユニフォームを紹介・・・
という名の自慢大会をします。
一応、流通量が少ないユニフォームも所有しているものでして。

先ほど、「高確率」って打とうとしたら「降格率」と変換されて
ちょっとウンザリしていますが、テンション上げていきましょう!

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■ジュビロ磐田

2000年 1st
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00年と01年の2年間着用されたモデル。
00年と01年ではデザインは同じだが、ワッペン構成などに微妙な違いがある。
自分が所有しているのは、チャンピオンワッペンが刺繍されている00年仕様。
ベースは水色だが、肩から脇腹にかけて大胆にネイビーブルーを配し、
縦のラインを加えることでよりシャープなイメージを与えている。
生地は光沢のあるサテン系の生地。ナイトゲームで照明に照らされると
水色には見えないほどに明るく発光することがあった。
肩~袖のネイビー部分はサテンだが、
脇腹のネイビー部分はメッシュ系の生地が使用されている。
黄金期を彩った思い出補正もあってか磐田サポーターの間では
歴代ユニフォームの中で最も人気が高く、リリースから16年が経過した現在でも
オークションや古着屋などで高値で取引されている。
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マーキングは9番。
当時の9番は、現在アスルクラロ沼津に所属している中山選手。
背中の"Kincho"が、時代を感じさせる。
昔はジュビロ磐田のスポンサーだったんだよ・・・・!
といっても、もはや覚えていない人のほうが多そうだけどね。


2001年 2nd
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上記1stモデルが採用された時期の2ndモデル。
1stが縦縞なら2ndは横縞、と言わんばかりに、横のラインが昇華でプリントされている。
1stモデルは脇腹にメッシュ生地が使われていたが、こちらは全てサテン系。
通気性?なにそれ、美味しいの?と言わんばかりの強気なコンセプトが時代を物語る。
1stモデル同様、こちらも00年と01年で微妙な違いがあり、自分が所有しているのは
リーグワッペンが通常のものとなっている01年モデル。
背面もスポンサー名ではなく、選手の名前がプリントされている。
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ちなみに、このユニフォームのナンバープリントはオフィシャルではなく、
購入後に再現マーキング業者にプリントして頂いた模造マーキング。
枠の色がオフィシャルと微妙に違うが、まぁ許容範囲かと。
1stモデルほどではないがこちらも人気があり、現在手に入れようとすると
それなりに資金が必要となる。
ちなみに私はこのユニフォームを2着所有している。
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マーキングのないタグ付き新品。個人的にけっこうな自慢だ。


2002年 1st
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ジュビロ磐田が、Jリーグ史上初となる1st、2nd両ステージ優勝の完全優勝を
成し遂げた年に着用されたメモリアルモデル。
もともとは前年に予定されていた世界クラブ選手権向けに発表されたモデルだったが、
大会スポンサー倒産により大会自体が中止となり、お蔵入りになるところであった。
しかし大会中止の決定がグッズ発売後であったためお蔵入りにさせることができず、
苦肉の策として翌年のリーグ戦に投入された。
基本的には磐田のユニフォームの傾向を踏襲した無難なモデルだが、
チーム史上初めての丸襟を採用しており、多少の冒険心は見え隠れしている。
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実は、時系列的には夜磐が初めて購入したのがこのユニフォーム。
背番号がマーキングされていないのは、当時筆者は中学生で、
マーキングを頼めるお金を持っていなかったため。
この年は1試合しかスタジアム観戦をせず、また次の年には新しいモデルを
背番号マーキング付きで購入したため、このユニフォームは数回しか着用していない。
まだ綺麗な状態だろうと思っていたのだが、写真を撮るために引っ張り出したら
胸スポンサーのマーキングが経年劣化で傷んでいた。ちょっと悲しい。


2003年 1st

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左右非対称の襟、通称「チャイナカット」で親しまれた03年モデル。
PUMAのグローバルモデルであり、イタリア代表を筆頭にPUMA社製のユニフォームを
採用していたチームがこぞって導入したため、世界的な知名度が高いデザインである。
「力強さの象徴」であったはずのネイビーブルーを採用せず、水色ベースに刺繍による白い
ラインのみという大変シンプルなデザインながらも、コンセプト面では大いに冒険している。
前年にリーグを制しているため、リーグワッペンはチャンピオン仕様。
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筆者が所有しているユニフォームは背中に選手名がプリントされているが、
実際に使用されたモデルではスポンサーの「Kincho」がプリントされていた。
全体的にのっぺりしている印象を受けるが、通気性は高く着心地は快適。
また、フットサルや試合観戦などで10年以上の酷使に耐えたので、
どうやら相当頑丈な造りになっていると思われる。
私とリアルで絡んだことがある人は、これを着用している私を
高確率で目にしたことがあるはずだ。
現在ではさすがにガタが来ているので、第一線を退き隠居中。
コレクションの一部として、タンスの奥で眠っている。


2007年 1st

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07年に着用された1stモデル。
PUMA社のテンプレートに磐田カラーが配色された、グローバルデザインである。
全体がメッシュ系の生地で構成されており、通気性は抜群。
陽の光の下で鈍く輝く高貴な水色は、まさしくサックスブルーと呼ぶに相応しい。
前年に酷評された「飯田産業」のスポンサーロゴは、一年経って見慣れたせいか
前年ほど悪辣な評価を受けることはなく、サポーターに受け入れられた。
夜磐が所有しているジュビロ磐田のユニフォームの中で、唯一のサイン入り
試合前イベントで、直筆で記入してもらった。しかしサインの書き手は
ナンバープリントされている加賀選手ではなく、川口能活選手と松浦拓弥選手。
洗濯して色落ちするのが嫌だったので、着る機会は少なかった。
それでも記事がヨレってしまっているところを見ると、
この時期のメッシュ系の生地はあまり丈夫ではないのかもしれない。
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背中には伝統のネスレ社のロゴが刻まれているが、悲しいかなこのユニフォームが
着用された07年に菊地事件が発生し、その影響でネスレ社が撤退してしまったため、
ジュビロ磐田のユニフォームにネスレのロゴが入ったのはこのモデルが最後になってしまった。
マーキングは、現在浦和レッズに所属しているDFの加賀健一選手。
このユニフォームを着て、15番のタオルマフラーを首に巻き、
自作の加賀選手ゲーフラを掲げて試合を見ていた
自分は、
どこからどうみても加賀健一オタクであった。


2012年 1st

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磐田が久しぶりに持ち出してきたオリジナルデザイン。
シャツはテンプレートだが、チーム史上初めて1stモデルに横縞を採用した。
右腹部にはチームエンブレムが透かしでプリントされている。
デザインが発表された当初はあまり評判が良くなく、「ラグビージャージのようだ」と
評する声もあったが、実物が出回ると受け入れられ始め、
最終的にはそれなりの枚数を売り上げた。
このモデルで初めて、スポンサーの社名プリントがシート圧着から昇華プリントに進化。
経年劣化により剥がれることがなくなり、好評を博した。
ナンバープリントについては、依然としてシート圧着が用いられている。
この頃から、胸スポンサーのYAMAHA、背中のSALA、袖のホトニクスが定着した。
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マーキングは、現在アルビレックス新潟に在籍している山崎亮平選手
次世代ジュビロ磐田のメインキャストの一人として大いに期待していたのだが、
度重なる病気や怪我、ライバルの台頭などで今一つエースにはなりきれず、
昇格失敗に伴い新潟に移籍してしまった。磐田が昇格した時に
「大井や康裕に着いて帰ってこないかな」と期待したが、残念ながら帰還せず。


2013年 コンフィット

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こちらは厳密にはユニフォームではなくコンフィットシャツだが、
番外的に取り上げる。2013年に販売されていた、オフィシャルコンフィットシャツである。
ユニフォームは高いから買えない、けどチームシャツを着て応援したい!という
方が購入されるのが、廉価版ユニフォームともいうべきこのコンフィットシャツ。
呼称については、もしかしたらチームごとに差異があるかもしれない。
自分はコンフィットシャツは買ったことがないのだが、実はこのシャツは
プレゼントで頂いた思い出の品。遠方に引っ越すことになり、
会う頻度が減ることになった友人一同から、お別れ会でプレゼントしてもらった。
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一生大事にしよう・・・と思っていたのだが、お別れ会後に自分の引っ越しが
取りやめになった。磐田は残留に失敗したけど、自分は残留しちゃいました♪
このシャツを贈ってくれた仲間達から詐欺師扱いされたことは言うまでもない。
まぁ、道理だけどね・・・・。


2016年 1st

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PUMA社の伝統的な「アパレルフォームストライプ」を採用した、革新的デザインの最新モデル。
磐田のJ1復帰を彩る記念すべきユニフォーム・・・になるはずだったのだが、
磐田ファンを筆頭にJリーグファンからは「ダサい」と酷評されている。
グラデーションにするのは悪くないが、スラッシュで表現してしまったのが悲劇
ネイビーの割合も高すぎる。PUMAジャパンのデザイナーが持ち込んだものと
思われるが、それにしたってストップをかける人間が社内にいなかったのか。
今季のJリーグは、衝撃的にダサいデザインをリリースするチームが他にもあったので
集中砲火を浴びることはなかったが、ヤバさではTOP3には入るだろう
このダサさでも、直近2、3年では一番の売り上げを記録したらしいので、
昇格特需というものの効果を思い知らされる。
実際、自分もダサいと思いつつ買ったわけだしね。
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マーキングは不動のエース、ジェイ。今季の磐田は、
ジェイがいるかいないかで別チームになると言われている。
要は、"ジュビロ前田"が、"ジェイビロ磐田"になっただけの話なのかもしれない(笑)


■日本代表
99-00
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日本サッカー界が右肩上がりの成長を続けていた時期に着用されていたモデル。
99年のワールドユース準優勝、00年のシドニー五輪ベスト8、同年のアジアカップ優勝など、
世界への足掛かりとなった栄光の記憶には、このユニフォームは欠かせない。
選手用のエクイップメントモデルだが、ロゴがワッペンで圧着されており、
時代を感じさせる。そもそもワッペンも旧デザインだし。
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思い出補正もあり、個人的に日本代表ユニフォームの中では最も思い入れのあるモデル。


14-15
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いきなり時代は飛び、ブラジルW杯で着用されたモデル。
購入予定はなかったのだが、伊野波がメンバー入りを果たしたため急遽購入した。
ジャパンブルーはいつも通りだが、サーモンピンクによるアクセントは
日本代表史上初めてという冒険ぶり。背面のラインは「円陣を組むと円になる」
というギミックになっているが、懲りすぎて若干滑っている感が否めない
前面はエンブレムを中心に放射状にラインがジャガードでデザインされている。
悪くないデザインだと思うが、どことなく旭日旗を連想させる。
このユニフォームが発表された時期は、某国と試合中の旭日旗云々で揉めていた
時期であり、よくこんな挑発的なデザインを採用したなぁと驚嘆した。
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マーキングはもちろん伊野波。東京のKAMOで購入しそのままマーキングを
お願いしようとしたのだが、なんと伊野波のマーキングセットが
関東のKAMOのどの店舗にもない
と言われたので腰を抜かした。
ワールドカップの正規メンバーなのに、マーキングを置いてもらえないのか・・・。
結局、マーキングセットを関西の店舗から取り寄せてもらってようやく完成
無駄に思い出深い一枚になってしまった。
ジュビロ磐田所属でワールドカップに出るのは、間違いなく伊野波が最後になるだろう。


その他

フェイエノールト
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現在札幌に所属している元日本代表にして永遠の天才サッカー少年小野伸二が、
初めて海外に渡った際に所属したオランダのフェイエノールトのユニフォーム。
フットサルに参加したところ、鉄筋の柱に激突するほどのガッツ(笑)を見せたことを
評価され、その日のMVPとして勝ち取った賞品。
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自分で買ったものではないので、残念ながら年代は特定できなかった。


ヴェネツィア
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ジュビロ磐田の名波監督が現役時代に1年だけ在籍した、当時セリエAの
ヴェネツィアのユニフォーム。メーカーは cronos 。
こちらについては以前記事を書いたので割愛。



・・・・



以上です。
コレクターの方には「な~んだ、大したモン持ってないじゃん」と
思わそうですが、ユニフォームは単体よりも
そこに込められた想い出や魂によって、より美しく輝くものです。
逆に考えれば、どれだけカッコイイデザインのユニフォームでも、
思い入れのないユニフォームには、あまり価値を感じないかもしれません。

皆さんが所有しているユニフォームにまつわる想い出や
デザインあれこれのお話を聞いてみたいものですね。

以上です。








昨日、サッカーユニフォームの古着屋で興味を引かれる一品を見つけ、
手持ちが足りていたので衝動買いしてしまいました。

ACヴェネツィア 99-00 1st
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DSC_1804


現在、ジュビロ磐田の監督を務めている名波さんが
現役時代に一年だけ所属したイタリアのチームのユニフォームです。

現在はチーム名をヴェネツィアFCに変え、セリエDに所属しているヴェネツィアですが、
名波さんの在籍当時はトップリーグであるセリエAに所属していました。
このモデルは、そのシーズンのモデルになります。


■名波選手のイタリア時代

ここで、名波さんのヴェネツィア在籍に関して振り返ってみましょう。
98-99シーズン、三浦カズに続くセリエA史上二人目の日本人として
イタリアに渡った中田英寿は、シーズン初年度に大きなインパクトを残しました。
中田の活躍はイタリア市場で日本人への注目を高めることとなり、
その結果として日本代表で中田と共にプレーしていた名波を
欲しがるチームが現れました。
そのチームこそ、ACヴェネツィアです。

「自分に足りないものを探しに行く」
そう語ってイタリアに旅立った名波選手。
後に本人が明かして曰く「記者に聞かれて適当に答えただけ(笑)」だったらしいですが、
当時はこの発言に胸を熱くしたサッカーファンも多かったことでしょう。

しかして、そんな希望と裏腹に、名波さんはセリエAという舞台で
活躍することはできませんでした。
それは、先日イタリアの『Guerin Sportivo』が選出した「セリエAの
がっかり助っ人ワースト11」の一人に選ばれてしまった事実からも明らかです。
「セリエAのがっかり助っ人ワースト11」 名波浩氏が選出される
活躍できなかった理由については、チーム戦術が名波さんの
特性に合わなさすぎたとか、当時のセリエAのピッチコンディションが悪すぎたとか、
名波さんを擁護する意見も多く聞かれますが、
後に同じ環境で活躍した日本人選手がいることを考えれば、
残念ながら選手としてのスケールの差異だったのではないかと思います。

一方、活躍できなかったとはいえセリエAで過ごした一年は名波さんに
大きな成長を促したようで、00年に行われたアジアカップで名波さんは
大会MVPに選ばれるほどの活躍を見せ、日本代表のアジア制覇に大きく貢献。
磐田に復帰した翌年は、かのN-BOXの牽引役となり、Jリーグを席巻しました。

名波選手という個人の尺度で測るのであれば明確な失敗だったイタリア挑戦ですが、
間接的に日本サッカーに決して小さくない影響があった事象だったと思います。
なので、私は周囲のサッカーファンの方ほどに、名波さんのイタリアでの一年を
ネガティブにはとらえておりません。
もちろん、成功だったとまでは言いませんけれどもね。

そうした経緯もあって、思い出深いこのユニフォームを購入した次第です。


■このユニフォームは評判が悪い!?
さて、なんとなくレトロな印象を受けるこのモデルですが、
実はこのデザインは各方面から酷評されています。

そもそもこのモデルは、当初は1stモデルとして使用される予定だったにも
関わらず、現地のサッカーファンから「ダサすぎる」と一喝され、
使用が自粛されたという悲しい経緯があります。

さらに、このユニフォームを手に取った名波さんも、入団会見時に
記者「どうですか?ユニフォームの印象は」
名波「・・・まぁ、良いっすね」
記者「色とか・・・」
名波「・・・あんま似合わないと思います・・・(半笑い)」

と、明らかに気に入っておりません。

極めつけは、当マンションの住人であるtakuさんが以前にアップした記事内で
「嫌いなユニフォームデザイン」と言及している条件に完璧に沿っており

嫌いなユニフォーム例として教科書に乗せられそうな勢いです。
【taku】なぜ僕は縦縞のユニが嫌いなのか。
私がこのユニフォームを買ったことを話していたら、無言でこの記事を
強調されたので、言外にdisられたのだと思います(笑)


■夜磐の美的センス(笑)
しかし私は、思い出補正がかかっていることを差し引いても
このデザインがさほど悪いと思わないんですよね・・・。
世界中で悪辣な評価を受けているものを気に入ってしまう、この私の美的センスの無さ。
正直、そこまでめたくそに言われるとは思っておりませんでしたので、
割と真剣にショックを受けました(笑)


傷ついた私の心を癒すために、「このユニフォームカッコいいよ!」と
言ってくれる方が現れることを切実に願っております。


夜磐


2015年11月30日、高原直泰がSC相模原との来季契約を結ばず、退団するとの一報が公式HPに発表された。

PB221081




ニュースを見てショックも受けた。



それでも「またか。」


と思ったのも事実。


そう、、、、

ユニフォームを買った、次年買おうとしていた選手が退団するジンクスの。



横浜F・マリノスの奥、那須、久保、上野、山瀬、マルキーニョス。

そういえば、ベルカンプの代表ユニも彼の引退した年に買ったっけ。



昨年のシーズン終了後、次年度はSC相模原のユニフォームを買おうと思っていたとき、
曽我部にしようか、鈴木健太にしようか、高原にしようか迷っていました。
(フラグじゃありませんよ~~)

結局10番を購入したんですが、今回またしても退団となりました。


ユニフォームを購入したのにすぐ退団しなかったのは中村俊輔、カカ(ACミラン)、バティストゥータ(すでに引退していた)。



自分だけに限ったことですが、
来年度、誰のユニフォーム買うかなんて考えない方がいいのかもしれません。
また、壮大なフラグを建ててしまうことになりそうなので、、、、



真面目な振り返り記事はまた今度にでも

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