コロンビア戦後の某日。
数年来、サッカーを語り合う友人とスカイプでザックリとザックジャパンや日本サッカーについて語りあった。
とはいっても、年齢は同じながら彼のサッカー観戦歴は自分のそれの2倍以上のキャリアを誇る。
だから、いつものことではあるが、彼の話に耳を傾けることが多くなった。
普段、自分が他人の2倍も3倍もしゃべりとおすことを知っている友人からすると、この姿はとても奇妙に見えるだろう。
今回はメモを取りつつ話した。
メモを取ることで後々に文章化する際に役に立つだろうという思いからだったが、どういう文章になるのやら、
覚書程度にご覧いただければ幸いである。
2人の発言者の違いを明記はせず、読みやすい形に集約しなおして掲載する。
ギリシャ戦後の夜に居酒屋で話した内容も含まれているので、話がかみ合わない点もある。
多少、誤解を招きやすい部分や過激な表現もあるが、なるべく原文ママにしたいので、ぜひご意見をいただけたらと思う。
・今回のワールドカップについて
14年大会は”シャープでソリッドなサッカー”で3人で攻めきる形。
イングランドも3人(スターリッジ、スターリング、ウェルベック)だが、あのメンツは創造性に乏しい。
00年代に全盛だった代表にクラブのユニットを持ち込むユニット論が崩壊した大会。
コスタリカのようにストロングサイドをゲームメイクの中で決めて攻めきる形ははおもしろい。
ブラジルはルイス・グスタボという守備専と、ゲームメイクしないパウリーニョがボランチのコンビで、パウリーニョは何もしないのでネイマールが降りてきて、ゲームメイクと称してドリブルして持っていくおかしな状態。
それでも勝ててしまうのだから不思議。
・今回のワールドカップの日本について
今大会については日本代表が伸るか反るか5分5分で迎えた大会だったと言っていいだろう。
内田がインタビューで言っていた通り、コートジボワール戦の2分間は考えるべき重要なポイントだ。
結局CBについて弱さが露呈してしまった。
ゾーンディフェンスについての間違った考えを変えるべきで、特に日本のようにボールの奪いどころがはっきりしない、漫然とした相手のとらえ方はおかしい。
GKの能力の低さも露呈した。
川島は、コロンビア戦では勝ち点3がなんとしても必要な試合だったが、3点を入れられた後、コロンビアのロングボールに対して安易なセーフティファーストクリアを見せた。
近くに安全な味方がいて、クロスに対して飛び込んでくる選手もクロスプレーにならない距離であって、確実に彼のほうが先にボールへアプローチできていたのに。
彼に限った話ではないが、時間帯でやるべきことや取るべきリスク、考慮すべきリスクが考えられていなかった。
今のサッカーのトレンドとして、10分10分でやることが変わる。
しかし、日本代表にはゲームが自分たちにはコントロールできない方向へ転ぶと修正する力がなかった。
端的にいえば、パニックで終わってしまった。
個人の中に修正しあう”土台”がない。
土台とは、クラブや代表での様々な経験であり、内田はまだしも吉田や香川、本田にその部分が欠けていた。
特に香川の適応力の低さは群を抜いており、モイーズのスタンスに合わせた中で自分を発揮することが求められていた中でも、自分を発揮できていなかったのは”トッププレイヤー”とは言えない。
また、90分”自分たちのサッカー”をやるという無謀で、時代遅れな考え方は監督にも責任がある。
監督の力量不足は否めない。
90分を理想に近づけるというゲーム脳的な発想ではいけない。
ここ3年くらい世界のサッカーは”時間帯変化”でチームのやることが変化していく。
局面のディテールや流れの変化の理解が選手、監督ともに必要である。
結論としては、日本はゲームを作る力が欠けていた。
キャプテンの問題。
長谷部が交代してベンチに座ってしまうことは無意味で、大久保をスタメンで使ってしまうと、若いベンチ選手たちを誰がケアしていくのかが不明瞭だった。
ベンチに置いてしまうことによって、遠藤が半端な存在として邪魔になっていった。
自分たちのプレッシャーとの戦いに打ち勝つためのアプローチが不十分だったのではないか。
本田は不幸だ。
大きな口をたたいた跳ね返りとしてスケープゴートされている。
彼はかわいそうな存在だ。
コロンビア戦では普段と違うプレーや、インサイドの味方に対して、ファーサイドへ流れるなど動きに工夫があった。
彼の中でチームを変えようという意識はあったが、誰もそれについていかなかった。
結果として、彼は孤独な存在になっていった。
ワイドアタッカーをおいてカウンターサッカーをやればいいと言う無責任な風潮がでてきているが、バカバカしい。
今の日本の方向性とは何か。
今大会は日本のサッカーとは、かくありきとアピールする大会だった。
結果は伴わなかったが、方向性は示した。
日本の方向性はアタッカーがショートスペースに入り込んでいくサッカーではなく、”アタッカーをダシにして、3人目の動きで崩していくサッカー”である。
常に120%でやるようなサッカーをするのはもうやめよう。
・与太話
日本サッカーのガンは誰か。
それは日本サッカーのファン自身である。
地域性の裏返しとして、宗教色が強いとも言える現状、ミクロなサッカー話=情緒的な側面を強調した語り部体質なファン。
ピッチ上で展開されるサッカーのディテールをではない、知識偏重な語り。
・後任監督について
ザック路線を継続するのではなく、ザック路線に理解がある人。
監督として、現在のナショナルなマーケットで価値のある40~50代の監督が理想である
例えば、ホッジソンやハリー・レドナップは論外。
クロップのような強度の高すぎるサッカーは日本人に合わない。
理想をいえば、ブレンダン・ロジャース。
・今後のトレンドについて
これからのボランチは大型化していく。
現在のトレンドとして、ファーストディフェンスの位置は前へ、前へと変わっている。
クロスに対してDFが迎撃するなかで、DHがそのセカンドや元々DFがいたスペースのケアをする場面は増えてくるそうすると、行動範囲の広いデカいボランチが今後のサッカーのトレンドになっていく。
端的にいえば、高性能ダニルソンの時代である。
理想はヴィエラだが、エンケラールみたいな失敗作も量産されると思われる。
加えて、今後は展開力のある選手がCBになる傾向だろう。
遠藤のような選手がCBになる時代がくると思う。
・トランジションについて
アクチュアルプレイング中のトランジションとセットプレーの絡むそれとを一緒に考えるのはナンセンス。
この2つには明確な違いがある。
といった形で、2人のサッカー談義は毎回2~3時間白熱し、話もあちらこちらへと飛んでいく。
これ以外にも載せられないほど酷い話や根拠がない叩きも少なくない。
それでも文章としてブログに書くのは、互いの面白い着眼点や2人の分析に共通したものがあるからだ。
次回以降はもっと精査して、内容も掘り下げたいところではあるが、何分酔っ払い相手の話なので、過度の期待はしないでほしい。(自分は酒を飲まない)
残りのワールドカップを見る気力があまりないというとウソになるが、それでも大きなモチベーションを失った今、義務感に駆られている部分も否定することができない。
睡眠時間を都合してまで見ているので、少しでもレベルの高い試合に出会いたいものだ。
数年来、サッカーを語り合う友人とスカイプでザックリとザックジャパンや日本サッカーについて語りあった。
とはいっても、年齢は同じながら彼のサッカー観戦歴は自分のそれの2倍以上のキャリアを誇る。
だから、いつものことではあるが、彼の話に耳を傾けることが多くなった。
普段、自分が他人の2倍も3倍もしゃべりとおすことを知っている友人からすると、この姿はとても奇妙に見えるだろう。
今回はメモを取りつつ話した。
メモを取ることで後々に文章化する際に役に立つだろうという思いからだったが、どういう文章になるのやら、
覚書程度にご覧いただければ幸いである。
2人の発言者の違いを明記はせず、読みやすい形に集約しなおして掲載する。
ギリシャ戦後の夜に居酒屋で話した内容も含まれているので、話がかみ合わない点もある。
多少、誤解を招きやすい部分や過激な表現もあるが、なるべく原文ママにしたいので、ぜひご意見をいただけたらと思う。
・今回のワールドカップについて
14年大会は”シャープでソリッドなサッカー”で3人で攻めきる形。
イングランドも3人(スターリッジ、スターリング、ウェルベック)だが、あのメンツは創造性に乏しい。
00年代に全盛だった代表にクラブのユニットを持ち込むユニット論が崩壊した大会。
コスタリカのようにストロングサイドをゲームメイクの中で決めて攻めきる形ははおもしろい。
ブラジルはルイス・グスタボという守備専と、ゲームメイクしないパウリーニョがボランチのコンビで、パウリーニョは何もしないのでネイマールが降りてきて、ゲームメイクと称してドリブルして持っていくおかしな状態。
それでも勝ててしまうのだから不思議。
・今回のワールドカップの日本について
今大会については日本代表が伸るか反るか5分5分で迎えた大会だったと言っていいだろう。
内田がインタビューで言っていた通り、コートジボワール戦の2分間は考えるべき重要なポイントだ。
結局CBについて弱さが露呈してしまった。
ゾーンディフェンスについての間違った考えを変えるべきで、特に日本のようにボールの奪いどころがはっきりしない、漫然とした相手のとらえ方はおかしい。
GKの能力の低さも露呈した。
川島は、コロンビア戦では勝ち点3がなんとしても必要な試合だったが、3点を入れられた後、コロンビアのロングボールに対して安易なセーフティファーストクリアを見せた。
近くに安全な味方がいて、クロスに対して飛び込んでくる選手もクロスプレーにならない距離であって、確実に彼のほうが先にボールへアプローチできていたのに。
彼に限った話ではないが、時間帯でやるべきことや取るべきリスク、考慮すべきリスクが考えられていなかった。
今のサッカーのトレンドとして、10分10分でやることが変わる。
しかし、日本代表にはゲームが自分たちにはコントロールできない方向へ転ぶと修正する力がなかった。
端的にいえば、パニックで終わってしまった。
個人の中に修正しあう”土台”がない。
土台とは、クラブや代表での様々な経験であり、内田はまだしも吉田や香川、本田にその部分が欠けていた。
特に香川の適応力の低さは群を抜いており、モイーズのスタンスに合わせた中で自分を発揮することが求められていた中でも、自分を発揮できていなかったのは”トッププレイヤー”とは言えない。
また、90分”自分たちのサッカー”をやるという無謀で、時代遅れな考え方は監督にも責任がある。
監督の力量不足は否めない。
90分を理想に近づけるというゲーム脳的な発想ではいけない。
ここ3年くらい世界のサッカーは”時間帯変化”でチームのやることが変化していく。
局面のディテールや流れの変化の理解が選手、監督ともに必要である。
結論としては、日本はゲームを作る力が欠けていた。
キャプテンの問題。
長谷部が交代してベンチに座ってしまうことは無意味で、大久保をスタメンで使ってしまうと、若いベンチ選手たちを誰がケアしていくのかが不明瞭だった。
ベンチに置いてしまうことによって、遠藤が半端な存在として邪魔になっていった。
自分たちのプレッシャーとの戦いに打ち勝つためのアプローチが不十分だったのではないか。
本田は不幸だ。
大きな口をたたいた跳ね返りとしてスケープゴートされている。
彼はかわいそうな存在だ。
コロンビア戦では普段と違うプレーや、インサイドの味方に対して、ファーサイドへ流れるなど動きに工夫があった。
彼の中でチームを変えようという意識はあったが、誰もそれについていかなかった。
結果として、彼は孤独な存在になっていった。
ワイドアタッカーをおいてカウンターサッカーをやればいいと言う無責任な風潮がでてきているが、バカバカしい。
今の日本の方向性とは何か。
今大会は日本のサッカーとは、かくありきとアピールする大会だった。
結果は伴わなかったが、方向性は示した。
日本の方向性はアタッカーがショートスペースに入り込んでいくサッカーではなく、”アタッカーをダシにして、3人目の動きで崩していくサッカー”である。
常に120%でやるようなサッカーをするのはもうやめよう。
・与太話
日本サッカーのガンは誰か。
それは日本サッカーのファン自身である。
地域性の裏返しとして、宗教色が強いとも言える現状、ミクロなサッカー話=情緒的な側面を強調した語り部体質なファン。
ピッチ上で展開されるサッカーのディテールをではない、知識偏重な語り。
・後任監督について
ザック路線を継続するのではなく、ザック路線に理解がある人。
監督として、現在のナショナルなマーケットで価値のある40~50代の監督が理想である
例えば、ホッジソンやハリー・レドナップは論外。
クロップのような強度の高すぎるサッカーは日本人に合わない。
理想をいえば、ブレンダン・ロジャース。
・今後のトレンドについて
これからのボランチは大型化していく。
現在のトレンドとして、ファーストディフェンスの位置は前へ、前へと変わっている。
クロスに対してDFが迎撃するなかで、DHがそのセカンドや元々DFがいたスペースのケアをする場面は増えてくるそうすると、行動範囲の広いデカいボランチが今後のサッカーのトレンドになっていく。
端的にいえば、高性能ダニルソンの時代である。
理想はヴィエラだが、エンケラールみたいな失敗作も量産されると思われる。
加えて、今後は展開力のある選手がCBになる傾向だろう。
遠藤のような選手がCBになる時代がくると思う。
・トランジションについて
アクチュアルプレイング中のトランジションとセットプレーの絡むそれとを一緒に考えるのはナンセンス。
この2つには明確な違いがある。
といった形で、2人のサッカー談義は毎回2~3時間白熱し、話もあちらこちらへと飛んでいく。
これ以外にも載せられないほど酷い話や根拠がない叩きも少なくない。
それでも文章としてブログに書くのは、互いの面白い着眼点や2人の分析に共通したものがあるからだ。
次回以降はもっと精査して、内容も掘り下げたいところではあるが、何分酔っ払い相手の話なので、過度の期待はしないでほしい。(自分は酒を飲まない)
残りのワールドカップを見る気力があまりないというとウソになるが、それでも大きなモチベーションを失った今、義務感に駆られている部分も否定することができない。
睡眠時間を都合してまで見ているので、少しでもレベルの高い試合に出会いたいものだ。