フットボール マンション

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カテゴリ: 夜磐

みなさんこんばんは。
夜磐です。

2024年2月で、当ブログは開設から10年を迎えます。
10年前のちょうど今日、2014年2月9日に、私は最初の記事を投稿しました。
節目ということで、既に下火となっている場所ではありますが
昔のことやこの10年のことをいろいろ書いてみようと思います。


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10年前、管理人の方から当ブログに誘ってもらったのは、
退職や引越し等で生活に変化していた頃でした。
引越しは未遂に終わったのですが、慣れ親しんだ方々とコミュニケーションを
取れる場を頂けたのは凄く嬉しく感じたことを良く覚えています。


自己紹介記事を見ていると、文言選びの端々から若さを感じます。
好きな選手として挙げていた加賀選手が今でも現役なのは感慨深いところ。
あとは、自由記入欄で「局地的な意見を発信する」と記載しているのは、
当時と今で考えが共通しているところですね。
結局のところ私はサッカーが好きというよりもジュビロ磐田のことが
好きだったのであって、包括的にサッカーを見る意思は当時からなかったのでしょう。
良くも悪くも、サッカーファンとしての自分の限界を悟っていることが
垣間見えて、そんなところが自分で良いなと思います(笑)


10年間での投稿数は、本記事をもって105。
大半が前半5年に偏っていますが、よく書いたなと思います。
ありがたいことにたくさん閲覧頂いた記事もある中で、
個人的に一番印象深いのは元磐田の奥大介さんが亡くなられた時に
投稿した記事です。
私にとって奥大介さんは語るのがなんとも難しい方で、
彼について語る時はどうしても歯切れが悪くなってしまうのですが、
あの時だけは無理なく自然に想いを綴ることができました。
恐らくあれ以上の形で奥大介さんのことを語ることはできません。
受けは悪かったですが、とても印象に残っています。

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次は、ジュビロ磐田の話。
10年前のジュビロ磐田は、初めて経験するJ2の開幕を控えていました。
それから現在までの10年で昇降格を繰り返し、J1とJ2に5年ずつ在籍。
言うまでもなく、それまでの歴史と比較して衰退の10年となりました。
その衰退は一昨年にピークを迎え、契約問題に起因し補強禁止という
Jリーグでは前代未聞の処分をFIFAから下された時は大いに落胆したのですが、
昨年は成績面では意外な健闘を見せました。
強ければ品性が不要になるわけではありませんので、
あの愚かしい失敗が解消されたことにはなりませんが、
それでも応援してくれる人がいるのは素晴らしいことだと思います。

昨年ジュビロ磐田はホームタウン拡張に踏み切り、事実上の支配地だった
我が故郷の浜松市を含む静岡県西部を名実共に取り込みました。
ただし、これで自治体からの支援が手厚くなるという単純な話でありません。
生まれ育ったからこそわかる、かの地特有の難しさがあり、この件によって
遅かれ早かれ大きな痛みを伴う構造改革が要求されることが予想されます。
政令指定都市でありながらこれまでプロサッカーチームが存在しなかったという
事実は決して偶然ではなく、明確な理由に基づく巡り合わせの結果。
そしてそれは未だに改善に至っていません。
「ホームタウン拡張が流行ってるし、他に取られる前に唾つけとくか」程度の
認識で手を出していたとしたら、むしろ甚大なしっぺ返しを
食らうことになります。
ジュビロ磐田がその辺りをきちんと認識していることを祈るばかり。
私は以前より少し遠くから観察させて頂くこととします。

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距離感は変わってもサッカー観戦の趣味がなくなったわけではなく、
磐田に関連しない試合もまだ見に行っています。
コロナ禍ではさすがに一切を自重していましたが、
昨年は数試合ほどJ1からJ3、高校サッカーまで現地観戦。
やはりサッカー観戦は楽しいですね。

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特に昨年のJ1昇格プレーオフ決勝の東京V-清水戦は、時期的な要素もあって
個人的に2023年のハイライトの一戦でした。
図らずも高みの見物のような形になってしまい両チームのファンの方々に
あまりにも礼節を欠くため自重しましたが、本心ではこの試合について
個別記事を作成したいほどにたくさんの思いが頭を巡りました。

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最後の高橋のタックルは、瞬間的に「ファウルじゃない」と思ったので、
少し遅れてPK判定が下された時はとても驚きました。
DAZNで実況が「PKーー!!PK!?!?PK!!」と絶叫していたのですが、
私もまさにあんな感じ。完全に清水が勝つ流れだったので、
あんなことになるとは全く予想できませんでした。

あの試合から2ヶ月が経ち、さすがにインパクトは薄れました。
ただ、間違いなくJリーグ史に残る一戦だったかと思います。

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最後に、日本代表について。
この10年、良い時も悪い時もあった日本代表ですが、概ね成長は続いていて、
特に昨年は飛躍の一年だったと思います。欧州で活躍する選手も増え、
つい数年前と比較しても選手の質は明らかに向上しています。
次々といろんな良い選手が出てきて、戦術的にもスキル的にも
私の理解の及ばない次元になってしまい、昔のように私が認識できる程度の
チームではなくなってしまったのは少し切ない気もします。
ただ、強くあるためにはそうであるべきなので、
これからも今の方針で強くなっていってほしいと思います。

とかなんとか言ってたら、先日のアジアカップでは準々決勝での敗退や
試合内容についてSNSを中心に大紛糾しましたね。
やはりサッカーは簡単ではありません。
私は試合内容について批評する気はありませんが、ピッチ外で一つだけ。
選手達には批判はあんまり気にしないでほしいな、と思います。
これは、プロなんだから批判されて当たり前いちいち凹むなとかいう
わけではなくて、応援している人の声を聞いてほしいなということです。
日本代表クラスの選手になると、批判はされますがそれと同じかむしろ
多いくらいの応援の声があるはずです。批判を気にして落ち込まれると、
批判する声の方がよく届いていて自分の応援はあんまり届いていないのかなと
愛が重いヤツみたいな葛藤を抱いてしまう人がいます。
少なくとも私はそうです。
選手が批判に落ち込んでいるという記事をけっこう目にしたので、
そこがけっこう気になりました。
なかなか難しいことですが、応援してくれる人に意識を向けて
くれたら、ファンの人も応援し甲斐があるかなと思います。


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書きたいことが全部書けたので、
本記事はこれで終わりとします。


あ、本当に最後に一つだけ。

今の私は10年前よりもサッカーから距離が空いているのは事実ですが、
それでも上記の通り時折サッカー観戦に足を運んだり、
自分でフットサルをプレーしたりと、私の生活からサッカーが
完全に消えてなくなることはありませんでした。
恐らく私は今後も、何かの形でこうやって自分の近くのどこかに
サッカーがある生活を続けていくのだろうと思います。
私なりに一生付き合っていける距離感を見つけたのかなと。
これが私なりの "百年構想" ということで、
この10年を総括することにします。


皆様も、素敵なサッカーライフを!

皆さんこんばんは。
夜磐です。

本日、国立競技場で開催されました
JFL 第24節
クリアソン新宿 vs 鈴鹿ポイントゲッターズ

を観戦してきました。

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JFL公式戦を国立競技場で開催するのは、14年ぶり2回目。
もちろん改修後は初めてで、非常に貴重な機会となります。
新宿をホームタウンとする新宿クリアソンのホームゲームであることを含めて、
サッカー以外の様々な催事が開催されたこの日は "新宿の日" と銘打たれ、
大々的に開催されました。


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クリアソン新宿には、私が長年その動向を追い続けている選手が在籍しています。
その選手は、FW 背番号 50 岡本達也 選手。
磐田ユース出身でトップチームにも在籍していた経験もさることながら、
私の母校の先輩でもあり、その縁でずっと応援し続けてきました。

岡本さんは2005年に磐田ユースからトップチーム昇格後、わずか2年で退団。
順天堂大学にご進学され、卒業後は水戸ホーリーホックで再びプロ選手となりました。
水戸で2年、鳥取で2年プレーされた後、2014年にプロをご引退。
以降2015年からずっとクリアソン新宿にご所属され、チームが東京都1部から
JFLまで昇格する原動力となられています。
Jリーグ在籍時は選手会の副会長や監事をお勤めされていることを含めて、
高校時代から現在まで私は岡本さんのことを尊敬してやみません。
今回、改めて岡本さんのお姿を拝見させて頂こうと、現地観戦に踏み切りました。


国立競技場。
改修後、一度見学会で訪れたことはありましたが、試合を見に来るのは初めてです。
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改修前の旧国立競技場では、サッカー観戦でたくさんの思い出ができました。
このスタジアムでも、いろんな思い出ができたらいいなと思います。
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この試合は、バックスタンドから観戦します。
メインスタンドのみ2層目が解放されていますが、それ以外は1層目のみの開放です。
開放されているエリアの中では、8割くらいは埋まっていたように見えました。



スタジアムグルメの屋台があったので、なにか食べようかと思ったのですが、
軒並み並ぶ気を失う長蛇の列だったので、早々に諦めました。
以前よりもスタジアムグルメを楽しむようにはなりましたが、
それでも何分も並んで食べようとするほど熱心ではありません。。。


岡本さんは先発。
やったね。
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また、10番の上田康太選手と、37番の黄誠秀選手もジュビロ磐田在籍経験者。
上田選手は2010年に改修前の国立競技場でジュビロ磐田がリーグカップを
勝ち取った試合で大活躍しています。
あれから10年以上も経ってしまいましたが、昨日のことのように鮮明に思い出せます。
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試合は、前半から一進一退の激しい攻防が繰り広げられました。
地力では鈴鹿が上回っているように見えましたが、新宿は劣勢の中でも
無闇にボールを蹴り飛ばさず、後方から丁寧に繋ぐスタイルを展開。
サイドを効果的に使いながら鈴鹿のゴールに迫り、重心は低くなりながらも
決して防戦一方にはならず食い下がります。
とはいえポスト直撃シュートなど機を見ては鈴鹿のパンチ力が火を吹き、
緊迫した内容で前半はスコアレスで終了します。

ハーフタイムには、新宿にある学校やダンスチームがパフォーマンスを披露。
アクロバティックなパフォーマンスはとても凄かったです。
最近は学生でも年齢を感じさせない子が多いですよね。
若者が活発なのは喜ばしいです。
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両チーム選手交代なく迎えた後半、立ち上がりに新宿がチャンスを掴みます。
左ペナ角付近から対角線のクロスが入り、岡本さんがフリーで走りこみシュート!
・・・も、ミートし損ねてボールは枠外へ。。。
ダフったのかと思いきや、スクリーンに映されたリプレイを見たら
蹴り足にヒットしていませんでした。これは決定的だった。。。

チャンスを逃すと流れが変わるのは、サッカーではよくある話。
そのシーンの少し後に、鈴鹿が先制しました。
後方から松木選手にロングパスが通り、ポストプレーで味方へ綺麗に繋ぎが成立。
ボールを受けた選手のシュートを新宿のGKがなんとか弾くも、
ポストプレーの後にゴール前に走りこんでいた松木選手がプッシュ。
後半17分、鈴鹿が一歩リードです。

そこから新宿は選手交代やパワープレーなど、手を変え品を変えながら
追いつこうと試みますが、隙を見せない鈴鹿はことごとく跳ね返します。
最前線で奮闘していた岡本さんも後半途中で足がつったようで、
上田選手共々悔しい途中交代。
逆に鈴鹿はカズこと三浦和良選手を投入し、スタンドを沸かせます。
カズ選手はこれでJFL最年長出場記録を更新です。
現役最年長選手になっているカズ選手は、出れば最年長記録を更新する状況。
50歳を超える記録を更新する選手は、今後現れるのでしょうか。。。

また、試合中に発表されたこの試合の観客数は、
驚きの16,218人
JFL歴代最多となり、記録更新の瞬間に立ち会うことができました。
関係者の皆様、おめでとうございます!
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試合は、鈴鹿が最後まで新宿の反撃をシャットアウトすることに成功。
1-0で鈴鹿が新宿を下しました。
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試合終了後のヒーローインタビューは、鈴鹿のカズ選手。
11年ぶりの "聖地" 降臨とのことで、やはり注目度は高かったようです。
プレーではあまり存在感を発揮できなかったので、ご本人としては消化不良かも
しれませんが、インタビューはしっかり対応されていてさすがだと思いました。
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試合後は、両チームの選手全員がスタンド前を一周。
こういう対応は、観客としては嬉しいですよね。



観客に手を振る岡本さん。
この日はなかなかゴール方向に向かってプレーすることはできませんでしたが、
ポストプレーではテクニックが健在であることを見せ、
献身的なチェイスやデコイランでチームには大いに貢献していました。
後半序盤のチャンスで点を決められていたら完璧でしたが、
それは次の機会にとっておきます。
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催事としてとても良いイベントでした。
新宿に根付いた学校やお店など、より地元との連携を意識した催しが
スタジアムの内外で開催されていて、Jリーグの理念である "地域密着" を
十分に理解し実践していることが伺えました。
JFLなのでJリーグとは別のリーグではありますが、理念自体を共通認識として
持っておくのは悪いことではないと思います。
"新宿の日" というテーマが名ばかりではなかった、ということは、
この記事を読まれる皆様には強くアピールしたいです。

恐らく、次の試合でまた今日と同じ観客数が集まることはないと思います。
ただ、この試合で得たであろうノウハウというのはJFLはとても貴重なものでしょうし、
今後の発展に是非ともその経験を活用してほしいと思います。
Jリーグのためではなく、JFLのために。
JFLは、Jリーグの肥やしなのではなく、Jリーグとは別の頂点なのですから。



その点で少し気になったのは、来場者の方です。
他サポが多くなるのは予想していたのですが、他チームのグッズを
あからさまに身に着けている方が予想以上に多かったので驚きました。
カズ選手の日本代表ユニフォームを着るくらいならよいかと思いますが、
Jリーグの他チームのユニフォームを着ていらっしゃる方がちらほらと。。。
他にもタオルマフラーをアピールするように掛けていたり、
マスコットグッズをつけていたりと、見た目で他サポと
判断できる方がいらっしゃいました。
禁止と明記されてこそいないにしてもマナー的に
褒められたものではないと個人的に思います。
ディビジョンが違えばいいだろう、という意見を目にしたことがありますが、
それこそ傲慢な意見です。J2以下、JFLも含めて、J1の引き立て役ではないのですから。
恐らくクリアソン新宿の関係者の方々も鈴鹿ポイントゲッターズの関係者の方々も、
あるいは両チームのサポーターの方々も「そんなの気にしない、来てくれて嬉しい」と
仰るでしょうから、私があーだこーだ言うことではありませんが、
だとしてもその言葉に甘えるだけではなく配慮は必要だと思います。
今回、そこがかなり気になりました。


今日は以上です。

皆さんこんばんは。
お久しぶりです。夜磐です。

2021年シーズンのJリーグが終了しました。
まだ天皇杯の決勝戦が残っていますが、一足お先に閉幕のご挨拶をさせて頂きます。
サッカーファミリーの皆様、今年もお疲れ様でした。

我らがジュビロ磐田は、昨年に続きJ2での戦い。
開幕2連敗スタートを喫するなど苦しいスタートとなりましたが、
最終的には優勝してJ1昇格を果たすというドラマティックな結果となりました。

正直、完全に予想外でした。
御見逸れしました。


コロナ禍もあって私は2年ほど現地観戦をしていなかったのですが、
今年は3試合ほどスタジアムに足を運びました。
久々ということもあって、感じるところは決して少なくなかったです。


5月1日 第11節 ジュビロ磐田 3-2 栃木SC
2年ぶりのJリーグ観戦、ヤマハスタジアム訪問は実に5年ぶりです。
5年もあれば景色も変わっているかなと思ったのですが、意外と変わらないものですね。

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この時点では磐田はチームとして成熟しておらず、タクティクスでは栃木SCが圧倒。
栃木のハイプレスが面白いように機能し、栃木がミドルサードでボールを刈っては
速攻を繰り出し終始磐田を追い詰める展開が続きました。
それでも磐田さんは、偶発的に発生したイレギュラーに付け込んで3点を奪取。
試合内容が反映されないスコアで磐田さんが勝利しました。

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勝ちに不思議の勝ちあり、とはよく言ったもの。
再現性が全くなさそうな点で、この時点では優勝も昇格もイメージはできませんでした。
この試合を一緒に現地で見た他サポの友人は、磐田の有様を見て絶句。
5月の段階では、磐田さんはそれくらい危ういサッカーをやっていました。



10月3日 第32節 FC町田ゼルビア 1-2 ジュビロ磐田
2回目の観戦は、ずいぶんと時間が空いて10月のこと。
ゼルビアのホーム、町田GIONスタジアムにお伺いしました。
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牛タン弁当、美味しかったです。


磐田さんはこの時点で昇格圏にいたこともあり、前回の栃木戦よりはブラッシュアップ
されていましたが、それでも組織としての完成度では町田の方が圧倒的に上でした。
開始直後のドタバタ2得点がなかったら、結果は違うものになっていたことでしょう。

町田の狙いは明確。まず磐田の両WBの裏を狙い撃ちにして5バック状態にさせ、
重心を下げさせた後はピッチを縦にも横にも広く使って磐田の守備にギャップを作り、
ズレたところでゴール方向にボールを動かすという攻撃をしてきました。
前半途中からはこの狙いがどハマっていたのですが、この狙いが機能し始める前に
磐田が2点先行しており、町田はその差を埋められませんでした。
後半はいつ点が入ってもおかしくない時間が長かったんですけどね。。。

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ただ、遠藤ヤットはやはりさすがでした。
この時期になってようやく "ジュビロ磐田の遠藤保仁" を生で拝見したのですが、
配球センスは大ベテランとなった今でも一級品。
特に先制点を演出したロングパスは圧巻でしたね。
ルキアンもあのゴールを今季のベストゴールとしていました。
あと面白かったのが、低い位置からビルドアップする時の動き。
Jリーグではボランチが最終ラインの真ん中に入ってサイドバックを上げるという
フォーメーション変形が長いこと流行していましたが、遠藤は真ん中ではなく
ボールサイドのWBの背後に移動するという動きをしていました。
味方のフォローがある状況であれば、その位置がもっともプレスを受けずに
ボールをキープできる場所。ゴールまでの距離が遠く角度も小さくなりますが、
遠藤ヤットほどの名手になればそれだけの時間と角度があれば十分なのでしょう。
お見事、の一言に尽きます。




11月14日 第39節 1-3 ジュビロ磐田
J1昇格に王手をかけて迎えた一戦、6年ぶりに水戸を訪問し昇格の瞬間に立ち会ってきました。
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ローストビーフ。絶品でした。写真が下手なだけです。

町田戦同様、序盤に磐田が2点を連取。
この試合の前半20分くらいまでが、今年3試合見た磐田さんの中では一番良い内容でした。
磐田さんが自陣ではなく敵陣で、ピンボールのようにボールを鋭く回すところは
ずいぶんと久しぶりに見ました。下手をすると00年代以来ですかね。
ただ、前半途中に水戸が選手とシステムを変更した後は、試合終了まで水戸が圧倒。
特に後半は水戸がずっと攻めていてしかもチャンスがたくさんあり、2,3点くらい
ポポーンと入ってしまってもおかしくなかったです。

2019年に磐田にいた中山仁斗選手、凄くいい選手になっていましたね。
オフザボールの動きやポスト、ゴールを狙う動きなど、前線に立つストライカーとして
非常に質の高いプレーを見せていました。あんなに凄い選手だったとは。。。
磐田さんはよく粘れるものだなと関心しましたが、その粘りこそが今季の昇格の
理由のひとつだったかもしれません。


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J1昇格を決め、歓喜に染まるジュビロ磐田。
おめでとうございました。


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水戸駅で美味しいカレーを食べて帰りました。

帰り際、電車に乗ろうとホームに降りたらジュビロ磐田の選手達がいて、
滅茶苦茶ビックリしました。普通にいらっしゃるんですね。。。
オフでは邪魔をしない主義なので、話しかけたり写真をお願いしたりはしませんでしたが、
遠巻きに眺めていたら鈴木雄斗選手と目が合ってしまい、ドギマギしながら会釈しました。
そしたら鈴木雄斗選手が軽く会釈を返してくれたので、またビックリ。
私だったらキョドりながら会釈してきた他人なんて絶対無視します。
鈴木雄斗選手、凄くお優しいです。


鈴木雄斗選手といえば、6年前の水戸では対戦した時は対戦相手として試合に出て
いらっしゃったんですよね。しかも、当時のレビューで鈴木雄斗選手の振る舞いを
私がめっちゃ褒めていました。自分で書いておきながらすっかり忘れていました。
当時から素敵な方だったんですね。
【夜磐】水戸ホーリーホックvsジュビロ磐田 掌の上で踊る
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特に先制ゴールを決めた鈴木選手は、後半ボールボーイが投げたボールがピッチ内に流れていったときに、
わざわざ拾い上げて磐田の選手に投げ渡していました。
水戸がリードしている時間帯に、です。
こういうことができる選手は意外と少ないです。
磐田相手にゴールを決めた怨敵ですが、昨日で鈴木選手のことが好きになりました。

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7月の23節以降、5ヶ月間19試合無敗、最終勝点91という凄まじい成績で
J2優勝とJ1昇格を果たしたジュビロ磐田。
関係者、ファンの皆様、本当におめでとうございました。
今季の成績は長いJ2史に残る、素晴らしいものでした。
心からお祝い申し上げます。

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正直に申し上げますと、ピッチ内外に改善の余地が非常にたくさんある、
というのが今の磐田さんに対する私の認識です。
それらは非常に根深い、組織の根幹に伴う問題に起因しており、
1年2年の短いスパンでどうにかなるものではない、と私は考えています。
しかしながら、今季の磐田さんは、私の予想を遥かに上回る成果を出しました。
今年の成果が、問題を解決する変化の狼煙になるのだとしたら、
それほど素晴らしいことは他にないと思います。

来季以降、いろんな意味で新しいスタートとなる磐田さん。
これからも頑張っていってほしいな、と思います。



新しいスタートといえば、PUMA社とジュビロ磐田のユニフォームサプライヤー契約が
今季で満了となることが発表され、磐田は来季以降は違うメーカーのユニフォームを
着用することになりました。今年の時点で既にPUMA社はスポンサーではなかったようで、
PUMA社から支援を打ち切られたものと思われます。

ユニフォームの件も残念ではありましたが、実業団時代から半世紀近くの関係がある会社から
支援を打ち切られたという事実の方がチームにとってはショッキングですね。
上記の問題の表層の一つだと思います。
磐田のユニフォームはPUMA、というイメージは、ジュビロ磐田ファン以外にも広く
定着していたと思います。かなり大きな変化かと思います。

当然ながら、私が所持しているジュビロ磐田のユニフォームはすべてPUMA製。
ジュビロ磐田のファンになってから20年、購入したユニフォームは実に10枚
これらがすべて過去のものになると思うと、哀愁の念は隠せません。
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なんで00-01年モデルの2ndを2枚も持っているのだろう。
しかも1枚は新品タグ付き。

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07年モデルだけサイン入り。
しかし背番号の山崎選手ではなく、川口能活選手と松浦拓弥選手。

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最も思い出深いのは・・・03年のチャイナカットモデルか07年の飯田産業モデル(?)です。
どちらも相当な回数着用しました。特に03年モデルはフットサルとかでも使っていて、
とんでもない回数着ていると思います。その分、いろんな思い出がありますね。
07年モデルは、2010年のナビスコカップ決勝戦で着ていました。
タイトル獲得時のユニフォームは、やはり特別です。


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2012年モデルは鮮やかでした。


来季からは、Admiral(アドミラル)社製のユニフォームを着用することが発表されました。
Admiral社のことは存じ上げてはおりましたが、凄く昔のメーカーという印象だったので、
この時代にサッカーチームに提供しているとは知りませんでした。
新しく、素敵な関係を築けると良いですね。


本日は以上です。

皆さんこんばんは。
お久しぶりです。
夜磐です。

先日、私用で御茶ノ水に訪れた際、時間があったので
文京区本郷にある日本サッカーミュージアムに行ってきました。

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日本サッカー協会(JFA)が所有しているビル、通称 "JFAハウス" 。
JFA の事務局が入居しているこのビルのフロアの一部がミュージアム化され、
2003年に一般向けに公開が開始されました。
私も10年近く前に一度訪れたことがありましたが、それ以降は
仕事でJFAを訪問することはあってもミュージアムに行くことはなく、
今回が本当に久々の入館となりました。

御茶ノ水駅からJFAまでの道は、"サッカー通り" と名付けられており、
こんな標識もあります。JFAが勝手に建てたものではなく、
行政との調整で建てられています。
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また、JFAハウス前の交差点は、こんな名前に。
わかりやすくて助かります。
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御茶ノ水駅から徒歩数分ほどで到着。
ミュージアム来場者向けの入り口は、階段上にあります。
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入り口では、コロナウイルス対策で検温、名前と連絡先の記入が実施されていました。
もちろん快く協力。


ミュージアムは地下フロアに開設されているため、入館したフロアから
階段を降りてミュージアムにアクセスします。
階段には、Jリーグの写真がたくさん飾られています。
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階段だけで壮観ですね。


階段を降り切ったところに、なぜかジュビロ磐田のポスターが。
次にホームに行けるのはいつになることやら。
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地下フロアには、"Jリーグコーナー" があり、Jクラブのグッズで彩られています。
Jリーグファンなら、これだけで堪らない光景でしょう。
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また、企画展として、やべっちFCのユニフォームが展示されていました。
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先日、惜しまれながら終了した TV番組 やべっちFC。
キャスターが名波さんだったこともあってやたらと磐田さん贔屓の印象があり、
一時期は毎週よく見ていましたね。
長寿番組だっただけに、終了してしまったことは非常に残念です。


Jリーグコーナーのすぐ近くに、"日本サッカー殿堂" のコーナーがあります。
これまで日本サッカーに貢献した多くの先駆者が掲額されています。
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黎明期からの貢献者の方々全員が対象となっているため、恐縮ながらさしもの私も
存じ上げない方々が非常に多いのですが、最近殿堂入りされた方はさすがに存じ上げています。
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また、こちらの方も磐田ファンとしては外せません。
杉山隆一さん
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日本代表として活躍し、「20万ドルの左足」とまで評されたプレイヤーとしての実績も
さることながら、引退後にジュビロ磐田の前身となるヤマハ発動機サッカー部に入閣し
実業団の強豪に押し上げ、スーパーバイザーとしてジュビロ磐田の誕生に多大な貢献を
果たされた実績が物語る通り、クラブのフィクサーとして非常に敏腕でありました。
ジュビロ磐田にとっては聖人にも等しい存在であり、荒田忠典元社長と並んでチームの父とも
言える方です。シャッターを切らずにはいられません。

あと、こちらの方も殿堂入りされていたんですね。
ハンス・オフト監督。
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この人もいろいろと印象深い方ですな。



Jリーグコーナー、および日本サッカー殿堂の区画は無料で入場できますが、
ここからはいよいよ有料ゾーンに入ります。
階段をさらに降りて地下2Fに降りると、壮観が広がります。
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フロアにあるのは、2002年日韓ワールドカップの全記録。
このミュージアム自体が、日韓W杯の記念館としての意味合いもあるのです。

大会で活躍したドイツ代表GK、オリバー・カーンの像がありました。
等身大なんでしょうか。めっちゃデカかったです。
こんなのがゴールを守ってたら、点を取れる気が全然しませんね。。。
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ミュージアム内には、いろんなコーナーがあります。

サッカーとの出会い。
一流選手たちがサッカーに出会ったきっかけが紹介されています。
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過去の試合を鑑賞できるブースもあります。
この日は、先日のロシアワールドカップの日本代表vsベルギー代表の試合が放送されていました。
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また、このブースには3Dディスプレイなるものがありました。
動画ではちょっと見えづらいんですけど、空中に映像が浮いているような感じで表示され、
手で触ることで画面の操作ができます。

す、すげー!!!


こちらは、日本代表のロッカールームを模したユニフォーム展示コーナー。
日産スタジアムのロッカールームをイメージしているように見えましたね。
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こちらが日産スタジアムのロッカールーム。
スタジアム見学ツアーに参加した際に撮影しました。
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1998年フランスワールドカップ。井原とゴン中山。
この頃はナショナルテンプレートがなく、チーム毎に個性があって面白かったですね。
炎モデルのデザイン、私は凄く好きです。
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次はフェアプレーのコーナー。
各世代の日本代表が国際大会で獲得したフェアプレーの表彰が展示されています。
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こんなに獲得していたんですね。圧巻です。
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こちらはフェアプレー憲章。
長らくサッカーを見てきましたが、ちゃんと把握していなかったです。
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これ以降も、歴史的な展示物を数多く拝見することができました。




元国際主審の上川徹さんが着用されたユニフォーム。
上川さんは、名波さんの引退試合で主審を務められた方で、
数いる主審の中でも私にとっては非常に印象深い方です。
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捕らわれのとび丸
俯くその視線の先に映るものとは。。。
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ワールドカップトロフィーのレプリカ。
02年ワールドカップの頃、これを見学するためにメイワン(浜松ローカルトーク!)の
フロアで1時間くらい行列に並んだのを覚えています(笑)
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企画展として、オリンピックサッカー企画展が開催されていました。

28年ぶりの出場となったアトランタ世代を牽引した前園川口
このユニフォーム、本当に好きです。
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我らが田中誠さんが、しれっとアトランタ世代の顔として紹介されていました。
なんかちょっと面白かったです(笑)
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紹介は以上です。
かなりたくさん紹介しましたが、これでも全展示の中のほんの一部です。
展示点数は非常に多く、見応えは半端じゃありません。

今回の記事をご拝見されてご興味を持たれた方は、是非とも時間を確保頂いて
ご訪問されることをお勧めします。
サッカーファンであれば、必ずや満ち足りた時間を過ごせることでしょう。

とても素晴らしいミュージアムでした。



サッカーは日々進化するスポーツ。
過去を振り返り思い出に浸っているばかりでは、競技の進化に追従できなくなって
しまうこともあるのかもしれません。
でも、たまにはこうやって過去の時代に触れて、偉大な先人達の戦いに
想いを馳せてみてはいかがでしょうか。


本日は以上です。


皆さんこんばんは。
お久しぶりです。
夜磐です。

先日、NHKスポーツ番組アカウントにて
サッカーのベストイレブン投票を開催していたので、
私も投票してきました。



今回はその内容をサクッとご紹介します。

なお、選出にあたっては、ジュビロ磐田に所属したことがある選手は除外しています
贔屓チームは除外した方が、実効のある内容になりそうだなと思ったので。

ではスタート。


■GK
中村航輔
現役の柏レイソルの守護神。磐田が病的に苦手にしているGKで、
レンタルで福岡に所属していた時代を含めてこの選手が
対戦相手として出ている試合では磐田はほとんど負けている。
その点では因縁深いGKなのだが、それらの恨みを自覚してなお
強烈な尊敬と憧憬を抱かせてくれる選手である。
とにかく点を取らせてくれないプレーぶりは、ゴレイロを志す
私の理想の姿。好み込みで、歴代最高のGKだと思う。

■DF
松田直樹
御存命であったとしても、私はDFには彼を選ぶ。
エピソードに事欠かないキャラクターの強烈さを含めて、
敵ながら割と好みな選手であった。守備に関しては、
ハードなプレーをする選手に目を引かれるもので。。。
ただ、この選手はただ激しいだけではなく、ボールタッチも
非常に巧みだった印象がある。トラップとかキックとか、
恐らく純粋にサッカーが上手い選手だったのだろう。

岩政大樹
磐田の怨敵。DFながら対戦するたびにCKからヘディングシュートを
ブチ込んでくるので、いつも「またお前か!」と
絶叫させられたものである。特に2008年のアレは痛かった。
そんなわけでベストイレブン入り。当時は本当に厄介だった。
脳筋タイプかと思いきや、引退後は解説者となり戦術解説の
書籍も出版している。読んでみたところ、非常に読みやすかった。
戸田といい、ハードなタイプの選手はこういう方向性に
いきやすいのだろうか?

アンデルソン・リマ
2004年に新潟に在籍した右サイドバック。在籍1年ではあるのだが、
当時Jリーグを見ていた人であれば強烈に記憶しているであろう。
快足をカッ飛ばしてサイドを疾走、速射砲のようなクロスの雨を
敵陣に降らせたかと思いきやカットインしてゴールを強襲。
極めつけはFKで、これまたとんでもない威力と精度。
試合終了間際に新潟がFKを獲得した途端に交代で登場、
決勝点となるゴールをブチ込んだこともある。
この「代打FK」は、当時のJリーグファンの話題を攫った。
敵ながら是非とももっと見たかった選手であった。

ドゥトラ
非常に厄介だったFマリの左サイドバック。
絶え間なくサイドを上下動しており、攻撃でも守備でも
ドゥトラのサイドにボールがあるときは常に彼がそこにいた。
そんな彼の姿を評した当て字は「動虎」。
なんともうまく表現したものである。
好不調の波が小さく、常に安定した出力を誇っていたことも
厄介さを加速させた。スタメンの中に名前を見つけるたびに
「うげ、こいつ出るのかよ」と頭を抱えたものである。

■MF
遠藤保仁
選手としての説明は不要だろう。特定の試合で徹底的にやられた
というわけではないのだが、常にハイクオリティなプレーを
披露しているので、遠藤にやられたとしても「ヤットかぁ」と
諦めがついてしまう。パサーでありながらキック以外の
駆け引きでも相手を苦しめられるのが凄いと思う。
代役を探すことが難しい選手。ヤットの前にヤットはなく、
ヤットの後にヤットはない。

阿部勇樹
いろんなポジションでの実績がある選手ではあるが、個人的には
ボランチで選出したい。磐田視点でもこの選手には何度も手痛く
やられているが、この選手を語る上で外せないと思っているのが
2010年の南アフリカW杯。日本代表にとって非常に重要なファクターと
なったあの大会で、最も代役が利かないタスクを務めたのが
この選手だった。選手として非常に高次元である点、および
Jリーグでの実績も歴代屈指である点を前提として、上記の観点を
含めてベストイレブンには絶対に加えたい。

石川直宏

FC東京でド派手な活躍をしていたアタッカー。攻撃的MFといえば
長いJリーグの歴史の中でも海千山千のポジションなのだが、
たくさん見てきた中でも一番凄いと感じたのは好調時の石川だった。
切れ味鋭いドリブルで敵の守備を切り裂き、強烈なシュートを
ゴールに突き刺す。「サッカーが上手い人」という単純なイメージを
もっとも派手に体現していたのが、この選手だった。
本当に、怪我さえなければ。。。と、敵ながらとても惜しい。

小笠原満男
フィジカルが凄いとか、キック精度が極端に高いとかわかりやすい
凄さがあったわけではないのだが、常に試合に勝利するために必要な
プレーを選択し、対戦相手として見ていると非常に嫌な選手で
あったので、選出させて頂いた。相手のメンバー表の中に名前が
あると非常にウンザリした選手の一人。なんか嫌だ、という選手の
筆頭格である。嫌だ嫌だと書いてはいるが、褒め言葉なので。

■FW
久保竜彦
コイツサエイナケレバ。



ワシントン
あの中沢佑二を引きずりながらゴールを決めるという衝撃の
デビューを飾った大型FW。そのインパクトを損なうことなく、
Jリーグでプレーしている間は常に観客に衝撃を与え続けた。
磐田も頻繁に被弾し続けており、当時は客席で途方に暮れた。
あんなの、どうやったら止められるんだよ・・・。
他のどんなFWよりもこの選手が厄介だと思った。



はい、以上です。
選手としての質だけではなく、磐田にとって厄介であったこと、
またインパクトがあったということが焦点になっていますね。
対磐田戦だけで語るなら絶対に赤嶺が入ってくるのですが、
選定基準はそこだけではないので(笑)


それでは~ ノシ

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