私が"川口能活"を認識したのは、アトランタオリンピックの時だった。
オーバーエイジ枠をフル活用し、本気で優勝を狙ってきたブラジル代表に
対して日本代表が大番狂わせを起こしたマイアミの奇跡。
その試合で、ド派手なセービングを連発し、ロベカルだのロナウドだの後に
世界の頂点に立ち続ける怪物達を完封したGKこそ、川口能活だった。
当時の私はサッカーのサの字も知らない人間だったが、
驚異的な反射神経で華麗にシュートを弾き返し続ける川口の姿は
私の脳裏に強く焼き付いた。今でもあの試合のダイジェストを
鮮明に思い出せるほどに。

アトランタオリンピックの翌年、親に連れられて観戦に訪れた磐田-横浜Mの試合で、
初めて川口能活を生で見る機会があったのだが、案の定川口は凄かった。
あんまりにも凄いので、磐田サポからもヨシカツコールが起こってしまった。
結局その日は磐田は完封負けを喫してしまったのだが、負けの悔しさよりも
川口の異様なオーラを味わえたことの方が私にとっては衝撃であった。
ゴールシーンは覚えていないのに、ゴール前でただ腰に手を当てて味方の攻撃を
眺めている川口の姿は覚えているのだから、その衝撃の大きさは推して知るべしだ。
その日から、私にとって「凄いGK」といえば川口能活のことになった。

それから2年くらい後に金子達仁氏に傾倒したことで、私は随分と
川口能活に詳しくなった。磐田に所属していなかった選手の中では
一番と言ってもいいくらいだったかもしれない。

川口の異名、「炎の守護神」。
これは、試合中に見せる情熱的な姿を表現しているものに他ならない。
鬼のような形相で怒り、喜び、叫ぶ。プレーに対する感情を一切隠さない
その姿は、燃え盛るの炎に例えられるに相応しい。
チームメイトから「うるさいよ」と本気で煙たがられることもあったようだが、
しかして私はそんな彼の激情家な部分も含めてお気に入りだった。
00年CSで、自身の迂闊なミスで失点し、試合後ペットボトルをピッチに叩きつけ、
突っ伏して「何回同じことやってんだチクショー!!」と絶叫する姿でさえ
私には魅力的に映った。

そう、私は彼が磐田に来る前から、川口能活が好きだったのだ。

川口


川口能活引退の報道がなされたのは、11/4 のことだった。
前日、降格がほぼ決まりかけていた磐田が広島相手に大逆転大金星を挙げ、
久しく覚える少しの余裕を味わっていた私に冷や水をぶっかけるような、
突然の引退報道。スマートフォンで報道を見た瞬間、私は「あぁ・・・」と
小さく呻いて天を仰いだ。

とはいえ、川口の引退をまったく覚悟していなかったわけではない。
厳密にいえば、いつそうなってもおかしくないという思考は、磐田を
退団した後からずっと抱き続けていた。
いくら比較的息の長いポジションであるとはいえ、年齢は既に大ベテランの域。
何かの拍子にその決断に至っても、何らおかしい話ではない。
加えて今季、能活が出場機会を大きく減らしているのは存じ上げていた。
ショックではあったが、「まさか、そんな!」というよりは、
「あぁ、この時がきてしまったか」と表現した方が真相に近い。


■最終節に至るまで

SC相模原のホーム、ギオンスタジアムは、私にとって必ずしも
アクセスしやすいスタジアムではない。
だがしかし、最終節に観戦に伺うことを迷うことはなかった。
試合は磐田のJ1最終節の翌日。大丈夫、いける。
そう判断し、すぐにチケットを確保した。
チケット確保から試合の日までは、比較的平穏な日々を
過ごしていた気がする。

だがしかし、試合前日に重大な事件が発生した。
J1最終節、私が見ている目の前で、ジュビロ磐田が急転直下の
PO圏転落という悲劇に見舞われたのだ。
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後半ロスタイム、チームを絶望に突き落とす残り30秒での逆転決勝ゴールは、
私の心に表現しようのない深刻な傷を与えた。
ジュビロ磐田は、これまでの歴史の中で、試合終了間際での
悲劇的な被逆転を幾度となくも経験してきた。
01年CS、03年J1最終節、14年プレーオフ山形戦、その他諸々。
磐田より苛烈な経験をしているクラブはJリーグの中にも存在するが、
終了間際の悲劇という意味では、ジュビロ磐田はJリーグの中では
セレッソ大阪と双璧を成すクラブである。

もう数度目ともなれば慣れたものでもあるのだが、一方で実は
私自身は過去の場面では常に画面の反対側のおり、現地でそれを
味わうのは初めての経験だった。それゆえ、過去のどの経験よりも
私が味わうダメージは深刻だった。試合終了間際、反転して突進する家長、
横パス、身を翻すカミンスキー、揺れるネット、喜ぶ川崎サポーター。
思い出したくもない記憶なのに、すべてを鮮明に思い出せてしまうのは、
もはやトラウマに近い。後に名波監督が語って曰く、「プレーオフで山形の
GKにヘディングシュートを決められた時の、何十倍、何百倍と引きずった」
とのことだが、それは私にとっても同様。
正直な話、「こんな目に遭うのであれば二度とサッカーなど見たくない」
とさえ思った。試合終了直後、同行予定だった友人に、
「ごめん、 俺明日行かない」というメッセージを送ったのは、
決して衝動的な行動ではなく、本心からの行動だった。
諸事情あって翻意に至ったのだが、一歩間違えれば本当に
ギオンスタジアム行きをキャンセルするところであったのは事実。
今思い返せば、私にとって危機的状況だったといえる。

「等々力の惨劇」は、能活にも思わぬ余波を及ぼしていた。
古巣の悲劇を目の当たりにした能活は、喪失感のあまり最終節を見据えて
予定していた散髪を失念し、ボサボサ頭のまま最終節に臨むことに
なってしまったのだ。試合後にその旨を明らかにされた際、磐田は
なんと罪深いことをしたのだろうと落胆しつつ、能活が未だに磐田を
大事に思い、PO圏転落を嘆いてくれているのが有難く感じ、
私は少し心が救われる思いだった。


■試合当日
Tシャツ購入を目論み、私は友人と共に9時にはギオンスタジアムに到着。
購入待機列はかなり伸びていたが、早めに並んだ甲斐あって無事に
狙っていたサイズのTシャツを購入することができた。

予定よりずっと早く終わったので、時間をつぶすために隣接する公園を散策。
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列整理が近くなったので、散歩を切り上げてスタジアムにリターン。
空腹だったので、フードコーナーでカレーを頂いた。
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空腹を満たした後に、現地に来ていた知り合いに会いにいったのだが、
自分から呼びかけたにもかかわらずいざ近付いたら気付かずに
思いっきりスルーしてしまった。大変申し訳ございませんでした。
試合開始1時間ほど前に入場。バックスタンドに陣取る。
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ホーム側は既に満席でアウェイ寄りになったのだが、これで
後半の能活を間近に見ることができる。

座席を見ると、コレオグラフィ用のシートが貼り付けてあった。
どうやらこの日のコレオが、SC相模原史上初の試みだったらしい。
ただ、さすがに慣れていない感は拭えず、剥がしたシートを持ったまま
座席移動をしてしまっている人がいたり、掲げるタイミングがバラけたり
していた。また、自分の隣にいた方が、掲げる向きを間違えていた
(裏面をピッチに向けて掲げていた)ので、「あ、それ逆向きですよ」と
言ったら、「ちょっとやだわぁ~、ウッフフフフ(笑)」と豪快に笑われた。
楽しそうなのは何よりだが、何故自分が笑われてるの かわからなかった。
まぁ、コレオは経験の積み重ねで上達するもの。SC相模原の皆様には
まずは挑戦したことを誇って頂いて、そのうえで今後の糧として
頂ければそれが一番良いことだと思います。何様やねん。

アップ前に目についたのは、報道陣の多さ。
前日の等々力にも、川崎の祝勝会と磐田サポの泣きっ面を収めに来た
メディアが多く集結していたが、この試合はそれ以上の報道陣が来ている。
多すぎてスタッフが扱いにちょっと四苦八苦していた程。
程なくして両チームがアップを開始。
川口が登場した際の歓声は、予想通り凄まじかった。
これで能活のアップを見るのも最後・・・と思うと、反対サイドで
ありながら能活から目を離せなかった。機敏な動きをしており、
とても43歳だとも、この試合が最後だとも思えなかった。

さて、能活以外の選手達に目を向けてみると、何名か存じ上げている選手がいる。
まずは何といっても元磐田の10番、成岡翔。磐田を退団した後、福岡、新潟と
渡り歩き、今年から相模原に在籍している。
菊岡、丹羽、谷澤、辻尾もJファンには馴染みが深いだろう。
あとは梅井がえらく堂々とプレーしているのを見て、
かつて期待を寄せていた身としてはけっこう嬉しく思った。
その一方で、磐田からレンタル中のモルベッキはベンチにもいなかった。
申し訳ないが、彼は本当に何をしに来たのだろう。

鹿児島ユナイテッドの方には、恐縮ながら存じ上げている選手は
ほとんどいなかった。2年ほど前に吹田スタジアムでG大阪U-23と
対戦しているのを拝見した時に記憶したFW藤本は既に移籍。
今季J2で12得点をマークし大分のJ1昇格に貢献している。
唯一、FWのキリノと薗田には見覚えがあった。とりわけ薗田に関しては
去年の天皇杯で横マリ相手に華麗なゴールを決めているのを見ているので、
期待がかかる。いや、今日の場合は恐怖だろうか・・・?
あとは、この試合には出場していなかったが、松下年宏が在籍している模様。

試合は、割と手堅い雰囲気で進んだ。鹿児島は既にJ2昇格を決めており、消化試合。
能活の花道を飾ろうとする相模原の方が、意欲は高めに見える。
そんな中で期待していた成岡が、不用意なロストでピンチを招いたり
していたのでちょっと残念だった。成岡はどちらかといえばセカンド
ストライカー的な動きを得意とする選手であり、配球のタスクで
違いが作れるタイプではないのだけれど、磐田在籍時はサテライトなら
その作業もある程度はやれていたので、サッカーという競技の進化を
考慮しても良い意味での存在感はもう少し見てみたかった。

それでも、前半を通してボックスに多く侵入したのは相模原の方。
能活のプレーも序盤から安定していた。
ピンチがさほど多くな かったのも影響しているが、クロス処理や
バイタルエリアのケア、キックにもミスがない。
一度ペナ内からシュートを打たれた際にも、コースを切って弾いている。
後半に向けてポジティブな要素が多い。

ハーフタイムに鹿児島が選手を交代してきたのだが、具体的な目的と
効果については読めなかった。中央の守備のフィルタがちょっと
強まったかな、と感じたが、たぶん誤差の範囲。

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後半、鹿児島が手前サイドに攻めてきたので、薗田をけっこう見ていた。
パワフルでこそないが、相手の守備のブロックの隙間に入り込んで
ギャップを作り出そうとする動きは実に痛快。ふとした拍子に
「あれ、ずいぶんあっさりとパスが入ったな」と思う時は、
大抵は薗田が受けていたり、或いは敵を釣っていたりする。
物凄く自分好みのFW。うーむ、相変わらず素敵だ・・・。

鹿児島の構成の最中、抜け出したFWに対し能活がコース遮断と
素早い反応で攻撃を切った場面があり、大興奮。
そう、GKながらこういう積極的な守備ができるところが好きなんだよ、能活。

勝つためには守備だけではなく点が欲しい相模原。
58分にボランチを入れ替えた。成岡はここで早々のお役御免に。残念。
(追記:先日、成岡選手が藤枝MYFCに移籍することが発表されました。)
なんとか1点入れてくれと思っていたら、20分過ぎに相模原がPKを獲得した。
相模原のクロスに対して手を出して叩いてしまった模様。
逆サイドなのでよく見えなかったのだが、帰宅後に確認したら
完全にハンドだった。意図的に引っ叩きにいったように見えたのだが、
そんなに緊迫する状況ではなかったように見えたので、
どうしてしまったんだろうかと不思議に思った。
まぁ、決定的な状況で手ェ出したらレッドだしね・・・。

このPKをジョンガブリエルが決めて相模原が先制。
たくさん足踏みしてGKを先に動かしてから蹴るやり方を採用していたのだが、
あんなに貯めるケースは初めて見た。あれはGKからしたら嫌だ。
といっても蹴り方にはそれなりの技術が必要で、失敗するこ ともある。
この間のFC東京-磐田戦では、この蹴り方を採用したディエゴオリヴェイラが、
最後まで飛ばないカミンスキーに根負けして枠を外した。
たぶんジョンガブリエルはこの蹴り方をちゃんと練習しているのだろう。

その後は鹿児島が思い切って反撃に出たのだが、シュートが枠にいかなかったり
ブロックされたり能活に止められたりでネットを揺らせず。
逆に相模原は交代枠を使って守備に人数をかけ、終盤は辻尾をほかしこんで
前線で走らせることでリスクを軽減しつつ守り切るという
非常に玄人好みな渋い試合運びを見せた。
そんなこんなで相模原が能活の現役最後を飾る完封勝利を達成。
レジェンドの引退に華を添えた。
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タイムアップ直後、チームメイトにもみくちゃにされる能活。
泣いてるように見えたのが印象的。帰宅後に確認したらやっぱり泣いていた。
胸を熱くしてくれる瞬間だった。
そこからシーズン終了セレモニーと、能活の引退式。
望月代表が「まだできそうに見える」と言っているのを聞いて、
「やっぱりそう思うよね、俺もそう思う」と同意した。
特に苛烈なキャリアを歩んだ望月が言っているのを聞くと余計にそう思う。

引退式では、能活のご家族の方々がご登場なされた。
お兄様が涙を流されていたのが非常に印象的で、それまでは笑顔だった
能活がその瞬間に泣いてしまっていたのを見て胸が熱くなった。
そしてスペシャルゲストとして、楢崎が出てきたのでビックリした。
これに関して非常に好意的な意見が多かったのだが、磐田サポとしては
「昨日名古屋がPO行きになってたら来なかったんだろうなぁ」と
少し微妙な気持ちになっていた。この光景のために名古屋の残留が
確定しているべきだった、という意見には同意しかねる。
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セレモニーの後、選手の場内一周の時には、多くの人が能活に
声援を飛ばしていた。どうやら磐田サポや横浜FMサポも多くいたようで、
それぞれのチームのユニフォームやタオルマフラーを掲げて
能活に手を振っている。そういう人たちが、少なくとも試合中は
それらの主張を控えて粛々と試合を見届けていたのが、
私には非常に好意的に感じた。

能活が近くまで来た時に、能活の名前を呼びたくてウズウズしていたら、
見越した友人が「呼びたかったら呼べばいいさ」と言ってくれたので、
お言葉に甘えて最後に「ヨシカツーッ!」と呼んだ。
磐田在籍時はゴール裏から何度も叫んだ名前。
久しぶりに呼んだにもかかわらず自分でも驚くほどしっくりきたのは、
9年間呼び続けた 事実が今でも自分の中で息衝いている証拠だろう。
場内一周の途中ではあったが、選手たちが遠方まで歩いて行ったので、
スタンドを出て帰路に就いた。能活の引退は残念ではあるのだが、
最後に思う存分に彼を堪能できた充足感から、この日の帰り道は
前ほどの喪失感は抱いていなかった。もっとも、帰り道の最中で
「もう見られないんだな」と寂しくはなったけれども。


■引退に際して
当方に影響を与えたサッカー選手という点で、川口能活は非常に
インパクトの大きい選手だ。引退に際して覚える寂寥の感は、
名波浩が引退した際のそれに匹敵するかもしれない。

前述の、幼少期に能活を初めて見て衝撃を受けたのをきっかけに、
私は親と「能活ごっこ」と称したボール遊びを頻繁にするようになった。
親が投げたボールを、膝立ちの状態からセービングするという
遊びだったのだが、これはGKのキャッチングのトレーニングとして
採用されるものらしく、私は意図せずGKのトレーニングをしていた
ことになる。まぁただのこじつけだとは思うのだが、その遊びが
現在までフットサルチームでゴレイロを担い続けていられる理由の
一つになっていることは、私の感覚では間違っていないと思う。

川口能活に関する思い出として、04年アジアカップのヨルダン戦や
アトランタ五輪の"マイアミの奇跡"などが挙げられているが、
私は迷わず2010年のヤマザキナビスコカップ決勝戦を挙げる。
この試合は、直近10年で磐田が獲得した唯一の国内主要タイトルである
と同時に、獲得の瞬間に私が現地で立ち会うことができた唯一の
タイトルでもある。その試合で磐田のゴールを守っていたのが能活だ。
延長含めて3失点こそ喫しているが、この試合の能活は素晴らしかった。
とりわけタイムアップの瞬間は出色。試合終了間際に相手に献上して
しまったPKで、能活は槙野のシュートを見事に弾き返してゴールを死守。
PK阻止からのタイムアップでタイトル獲得という、あまりにも
劇的な展開を演出してくれた。長く磐田を応援しているが、
あれほどに甘美な瞬間は他にはなかなか思い当たらない。


能活は引退理由として、「選手としてではなく違った形で日本サッカー界に
貢献したい」と語った。選手ではなくなるが、彼がこの世界からいなくなって
しまうわけではない。今後も能活がサッカー界に関わってくれることに
感謝しながら、今後の活動を見守っていきたいと思う。


能活選手。
長い現役生活、本当にお疲れ様でした。
伝えたいことは寄せ書きに書かせて頂きましたので、これ以上の
言葉は必要ないでしょう。ただ、いつまでも応援しています、とだけ。

以上です。