「6月15日、日本代表のワールドカップ初戦をリアルタイムで観よう」
指導者の皆さん、サッカー少年にリアルタイムでテレビ観戦できる配慮をしてみませんか?
という小さなムーブメントがある。
言いたいことは、わかる。
でも、これ、語りかける対象が間違ってると思う。
子供達は、練習や試合がしたいのか?日本戦が観たいのか?
子供達が自らで判断・決定することに価値があるわけで、日本戦を観るという行動を、大人が与えちゃ意味がないでしょ。
子供達自身が、
「練習や自分達の試合よりも、日本戦が観たい」or「日本戦よりも、練習がしたい」と考えること、
日本戦を観るために自分の試合は休もうと決められる決定力、そういうものが必要だと思う。
サッカー少年の皆さん、指導者にリアルタイムでテレビ観戦したいと提案してみませんか?
が正解なんじゃないか。
そういう判断や決定ができる子供が多数派になれば、ワールドカップで優勝できる。
指導者の皆さん、サッカー少年にリアルタイムでテレビ観戦できる配慮をしてみませんか?
という小さなムーブメントがある。
言いたいことは、わかる。
でも、これ、語りかける対象が間違ってると思う。
子供達は、練習や試合がしたいのか?日本戦が観たいのか?
子供達が自らで判断・決定することに価値があるわけで、日本戦を観るという行動を、大人が与えちゃ意味がないでしょ。
子供達自身が、
「練習や自分達の試合よりも、日本戦が観たい」or「日本戦よりも、練習がしたい」と考えること、
日本戦を観るために自分の試合は休もうと決められる決定力、そういうものが必要だと思う。
サッカー少年の皆さん、指導者にリアルタイムでテレビ観戦したいと提案してみませんか?
が正解なんじゃないか。
そういう判断や決定ができる子供が多数派になれば、ワールドカップで優勝できる。
コメント
コメント一覧 (1)
「試合したいか、日本戦が観たいか」
これではただの踏み絵だ。
決定力っていうのは指導者にも必要なのだよ。
選手にサッカーを太く熱く好きになってもらうために6月15日の日本戦を見せる価値がある。