徹底解剖!ヤマハスタジアム
~第三夜 スタジアムの歴史編~


皆さんこんばんは。
常にまじめでクールな男、夜磐です。

第三回となる今回は、ヤマハスタジアムの歴史を皆様にご紹介しようと思います。


■前段
皆さんは、ヤマハスタジアムを見ていて、何か違和感を覚えませんか?
明らかに左右非対称のスタンド、真新しい部分と年季の入った部分の共存・・・。
一言で表現するのであれば、「全体的な調和の欠如」とでも言いましょうか。
不思議な構造が随所に含まれた姿は、さながらツギハギのような印象を受けるでしょう。
それもそのはず、このスタジアムは度重なる改修により、文字通りのツギハギを
行ってきているのです。
本日ご紹介するのは、そのツギハギの物語・・・


■Jリーグ以前
現在ヤマハスタジアムと呼ばれいているスタジアムは、
ジュビロ磐田がプロ化する前、すなわちヤマハ発動機サッカー部であった時代から
本拠地として使用されてきたサッカー場です。
当時の呼称は、"東山グラウンド"。
両ゴール裏にスタンドはなく、客席は現在のバックスタンドよりも小規模のものが
設置されていたのみだったようです。


■建設に至るまでの経緯
さて、皆様もご存じのとおり、1993年にJリーグが開幕しました。
初代参加チームを募るにあたり、実業団の強豪であったヤマハ発動機は当然手を挙げました。
しかしながら、当時の磐田には有料試合を開催できるスタジアムがなく
早急に本拠地する必要が出てきたのです。

しかし、自治体としての規模が小さい磐田市には、Jリーグ規格を満たす
競技場を建設することは不可能。
となると、大きな経済基盤を持つ東隣の浜松市に協力を要請するのが話が早そうなのですが、
産業都市である浜松市にはヤマハ発動機のライバル企業が数多く存在します。
彼らは、自らが収めた税金が、ライバル企業であるヤマハ発動機のために
税金が投入されることに激しく反発。
S社の社長が直々に「Jリーグのために浜松市の金は一円も使わせん」と公言する
事態まで発生しました。

そこで手を挙げたのが、磐田市に隣接する浜北市。
現在は浜松市に吸収合併され"浜北区"とその名を変えてた浜北市ですが、
当時の浜北市長が3万人規模のサッカースタジアムを建設し、
ヤマハ発動機サッカー部を誘致することを表明しました。
これにはヤマハ発動機サッカー部も大変に乗り気で、
フランチャイズは事実上内定したも同然となっていました。

しかしここで事件が発生。
フランチャイズを先導していた浜北市長が収賄により逮捕され、
誘致計画そのものが頓挫してしまった
のです。

慌てたヤマハ発動機サッカー部は、苦し紛れに静岡県東部の草薙競技場を
本拠地として申請しましたが、ホームタウンから電車で一時間以上も離れた
本拠地など認められるはずもありません。
結局、参入を争っていた清水に参入争いで敗れ、初年度からの参加を逃してしまいました。

こうして本拠地難民になってしまったサッカー部を見かねたヤマハ発動機が、
東山グラウンドを大改修し、スタジアム化することを決断
こうしてヤマハスタジアム、当時の呼称で"ジュビロ磐田スタジアム"が誕生したのです。

しかしまぁ、改めて振り返ると、ジュビロ磐田ってけっこう難産だったんですね・・・。


■スタジアム誕生と迅速な増築
紆余曲折の末に誕生したヤマハスタジアムですが、完成当初は貧相なスタジアムでした。
メインスタンドとバックスタンドはほぼ現在と同じ姿で存在していましたが、
ゴール裏は小さい立見席が申し訳程度に設置されているのみ。
当然オーロラビジョンもなく、"凸"の形をした妙なスコアボードが異様な存在感を
放っていました。

とはいえ、当時はJリーグバブル。
慢性的な座席不足を解消すべく、2年目には早くも増築が行われました。
増築されたのは、北側2Fスタンド。現在、アウェーサポーターに
割り当てられているゾーンです。
当時は北側スタンドがホームサポーター用に割り当てられていたため、
増築工事の対象も北側スタンドが対象となりました。

こうして、恐らく他サポーターから最も広く認知されているであろう
ヤマハスタジアムの形が出来上がりました。
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[増築された2Fスタンド]


■10年目での改修
さて、ようやくスタジアムとしての歴史を刻み始めたヤマハスタジアムですが、
2F席が増設された1994年以降はドラスティックに姿を変えることはなく、
立見席の座席化や座席の交換など、メンテナンス程度の小さな改修に留まっていました。

様子が変わったのは、ジュビロ磐田の昇格10周年にあたる02~03年頃。
02年、現在の南スタンドとバックスタンドの間にオーロラビジョンが設置されました。
それまでは変な形のスコアボードしかなく、出場中のメンバーを確認することさえ
骨が折れたので、オーロラビジョンの設置により観戦環境は劇的に向上しました。

そして03年、ヤマハ発動機ラグビー部のプロ化に伴い、ラグビー開催に対応する
改修を実施。ピッチ周囲のランニングトラックが廃され全面芝生となり、ピッチと
スタンドの壁の間に緩衝材が設置されました。
また、名称もそれまでの「ジュビロ磐田スタジアム」から「ヤマハスタジアム」に変更。
後に、この姿が10年ほど続くこととなります。
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[当時のヤマハスタジアム。スコアボードが旧式の状態です。]


■浮上する欠点と大改修へ
ここで一旦、話をジュビロ磐田のチーム、そしてサポーター方面に向けます。
オーロラビジョン付きの立派なスタジアムをホームとしたジュビロ磐田ですが、
02年の完全制覇をピークに、緩やかに弱体化が始まります
次第に順位を下げていく中で徐々にサポーターの数が減り、
いつしかサポーターの応援の声量で相手を上回ることができなくなっていきました。
アウェーならまだしも、ホームでさえほとんどの相手より声量が小さいというのは、
サポーターとしては耐え難い屈辱です。

当然、サポーター集団は状況の改善に着手したわけですが、サポーター減少の原因の
一つとして、スタジアムの構造的問題を指摘しました。
・熱狂的なファンが集まる"ゴール裏"ゾーンが狭く、応援に参加するファンが増えない。
・ホームゴール裏のスタンドに覆いかぶさるように2F席があるため
サポーターの声がコンコース内に反響し、スタジアム全体に声援が響かない。


当時のヤマハスタジアムに行ったことがある方であればお分かりのことと思いますが、
確かにホーム側もアウェー側もゴール裏が狭く、応援に参加するサポーターの数が
限られてしまうという状況ではありました。
しかも、スペースだけでいえばアウェー側の方が広かったんです。
2つ目の構造問題については、全盛期は同じ構造でもサポーターの声は響いていたので
大きな原因とは考えられませんでしたが、声が籠りやすい状況であったことは
事実ではありました。

サポーター集団はスタジアム所有者であるヤマハ発動機に対し、改修要求を提出。
長い協議の結果、ついにスタジアムの大改修が決定。
2012年シーズン終了後から、工事が開始されました。


■ヤマハスタジアム再誕
2013年夏、前年の冬から行われていた工事が終了し、生まれ変わった
スタジアムのこけら落としが行われました。
大まかな改修内容は、下記の通りです。

・サポーターの割り当てを変更。
 アウェーサポーターは北側スタンドの2Fへ、磐田サポーターは南側スタンドへ。
・南側スタンドを大拡張。全席固定化し、一部を屋根でカバー
・南側スタンドとバックスタンドをスタンド内で直結
・オーロラビジョンを北側スタンド2F上部に移動
・開場以来設置されていたスコアボード撤去

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[改修前]

DSC_1324
[改修後]


とりあえず簡単にまとめるなら、「今までアウェーサポーターが使っていたスタンドを
新築レベルで建て替えて大拡張したよ。でもそのスタンドはホームサポーター用だよ。
アウェーサポーターは反対側の2Fへどうぞ。あ、ビジョンは見えないよ

ということです。
ちなみに、北側の1Fには磐田サポーターが割り当てられているので、
現在のヤマハスタジアムは両ゴール裏に磐田サポーターがいることになります。
一時のキンチョウスタジアムを凌ぐほどの「えこひいきスタジアム」ですね。
(クレーム入っても知らんぞw)


こうして、ヤマハスタジアムは現在の姿に至ったわけです。
以上、ヤマハスタジアムの歴史でした。

最終夜では、現状と今後についての意見を書きます。