フットボール マンション

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2017年09月

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こんにちは9/2(土)に開催されたJ3リーグ アスルクラロ沼津vsFC東京U-23の試合に行って参りました。

さて、この試合。
以前から沼津の話で何度も話題に挙げている
沼津市内浦地域が舞台のアニメ。Aqours(アクア)というグループが活躍する「ラブライブ!サンシャイン!!」
と同作品の前作に当たりμ's(ミューズ)というグループが活躍する「ラブライブ!」の舞台が東京(と言っても、正確には秋葉原地域なので、FC東京はどうなんだ?というのは目を瞑って)
という事もあり一部ファンの間では「ラブライブ!ダービー」なんて勝手に命名して盛り上がっておりました。

折角なので、今回は沼津を舞台にしたAqoursのメンバー9人を応援しているお店や、因んだ物事や場所を拾って一日を過ごしてみたいと思います。

■朝は沼津港で海鮮丼。スタジアム移動まではシャイニーな一服(#丸勘ゆるさない)■
さて、朝6時に家を出ました(笑)(キックオフは15:00)
朝一で向かったのは沼津港の丸勘さん。Aqoursのメンバー国木田花丸推しのお店。店内の装飾が凄い…。
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朝の7時半開店で既に30人近い行列が…アニメファンの子達が集まるから?というだけでなく、味も美味しく、かつワンコイン丼など値段もリーズナブル故に凄い人気です。

並んで開店を待っていると、アスルクラロのユニフォームを着た人がチラホラ増え、FC東京のユニフォームの方も増えてきました。
自分たちが座った6人掛けのテーブルがまさかのアスルクラロサポーターで埋まるとは(笑)


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限定のまぐろスリーマーメイ丼(改)、そして壁ドン。という何とも元ネタを知ら無い人には奇妙なネーミングの丼を注文。
両方ともAqoursのメンバーで東京から転校してくる桜内梨子(壁ドンとかそういうの好きな子)に因んだネーミング丼。こういった点もファンを楽しませ、人気のある理由だと感じました。
尚、まぐろスリーマーメイ丼は限定30食?が15分足らずで完売した模様。

これにアジかまぼこ+おかわりし放題のエビが入ったお味噌汁を注文しても1000円を切り、また建物の外で沼津港の水門「びゅうお」や海を見ながら食事が出来るのも中々魅力的です。

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また、このお店で注文を待っている間にラブライブ!のファンの子達にも声をかけられました。
「今日、アスル試合あるんですか?サッカー好きなんですけど、行ってみようかなって考えてるんですけど何時からですか?」

お時間を伝え「是非気軽に応援に来てください」といって別れましたが、試合の時にゴール裏に来てくださってました。(ユニフォームTシャツも購入してくれてた。)

先日、別の場所でも「サッカーは知らないけど、沼津のサッカーチームの人達が歌を応援歌に使ったり、寝そべりや大きい旗で応援してくれてるはツイッターなんかで見た事ありますよ!」なんて声も伺いました。

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この日、愛鷹のウェルカムボードに「追伸:#丸勘ゆるさない」と書いてあった丸勘さんとはこのお店の事で、 #丸勘ゆるさない というTwitterで使われるハッシュタグは「美味しい物を飯テロしてくる丸勘をゆるさない」という様なネタだったりします。

さて、港を後にする頃には色々サポーターの方々と出くわして居ました。
まだまだキックオフまで時間がある為、のんびり狩野川を渡りながら向かったお店は喫茶店のマリールゥさん
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マリー…の名前からAqoursのメンバー小原鞠莉推しになっちゃった?お店。
住宅街に構える静かなお店ですが、ここでしばらく談笑。
アスルには兼任サポの方も沢山いらっしゃって、J1やJ2の話からアニメの話まで取り留めない話で盛り上がりました。


■後半戦初の愛鷹参戦。今日も沼津は元気全開■
そんなこんなまったりしてたらだいぶ良い時間なのでスタジアムのある愛鷹へ。
この日はUSUIマッチという事で先着1000名にTシャツの無料配布がありました(太っ腹!)

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アスルドダックさんらお馴染みのタイコ叩き隊もスタンバイ

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電光掲示板は無事に動きましたw

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この日は「ぬまづ茶」や地元野菜のブースもありました。今年SC相模原の観戦に行った時も思いましたが、地元の野菜やらその土地の物を購入できるというのは魅力だと私は思います。

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アスルキッチンと題したフードエリアには以前YSCC戦でも紹介したクラウンやすのすけさんが、バルーンアートで子供たちを盛り上げていました。

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◎今日の愛鷹オススメグルメ◎
今回はAqoursのメンバーお店で廻ってるという事で2度目のクレープLinoLinoさん!
Aqoursのリーダーにして主人公・高海千歌ちゃん推しのお店。
【youあず】アスルクラロ沼津vsグルージャ盛岡【J3】
この時もクレープで紹介しましたが、今回はフルーツ杏仁を頂きました。

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メンバーカラーを「オレンジ」じゃなくて「みかん色」という位みかん大好きな千歌ちゃんのイメージにピッタリな一品でした。


■大爆笑。ゲートフラッグ撮影交流会■
スタジアム内に入場。朝小雨も降っていた空が時間経過と共にみるみる晴れていきます。いやぁ良かった良かった。

スタ入場直後はまだこんな感じでしたが…
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キックオフ直前にはなんとこんな感じに
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一旦荷物を置いて、FC東京のサポーターの方々とのアニサカ勢の痛ゲーフラ撮影交流会が行われるという事で移動。
試合の日はスタの裏側あんまり通らないんですが(愛鷹でランニングしたりすると通るけど)こっちからだとフラッグが良く撮れますね。
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9月に入りましたが向日葵もまだ咲いています。(でもトンボも沢山飛んでいます)
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アウェイ側入口付近に到着するとFC東京U23のサポーターの皆さまと撮影会が始まりました。
あれ?皆さん朝港でみた気が…

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と…そこへ忍び寄る影が…

アスルドダックさん率いるタイコたたき隊登場



そして、誰もサッカーのチャントを歌わない。巨人、阪神、横浜、中日、西武…なぜみんな野球なのか
そして、なぜみんなそれを歌えるのか。カオス過ぎて大爆笑

愛鷹のバスロータリーから階段を上がって、スタジアムへ向かう道の外れ、また丁度グッズ販売の近くだった事もありグッズ売り場辺りでも大ウケしてる人がチラホラ自分の所からは見えました。

試合が始まってしまえば、90分間は敵同士。でも、それ以外では皆で楽しむこの雰囲気。中断明けて1ヶ月半ぶりの愛鷹は今日もいつもの笑い声にあふれています。

また、FC東京U23のサポーターの方々から因んだお土産を貰ったり
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●vs FC東京U23
試合以外で面白い事だらけで、いつも試合までの前置きが長くなるのが沼津の日常です。
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アスルクラロ沼津はこの日、先発に青木選手が復帰。
白石選手が左サイド、谷口選手がCBでのレギュラーとなりつつあります。この2人が現在レギュラーになっているのには理由があり、それも何となくですが戦術的な面ではここ2試合でわかった気がしました。

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FC東京U23は久保選手が代表から戻って合流したものの試合には出れないのではないかと少し思ってましたが、先発出場。
FWのリッピ選手を除いて10代の若いチームで臨みます。

早々から沼津の攻撃にFC東京U23のDFが沼津の選手を捉えられずにいた印象でしたが、7分という早い時間に中村選手から青木選手にパスが通り先制します。
その後15分辺り~30分近くまでかなり沼津陣内でFC東京U23にボールを持たれるシーン、クリアが小さくなるシーンが多かったですが、あまり心配はしないで見ていました

勿論これにはちゃんと理由があって、
①クリアしきれず相手にポゼッションされる展開でも、キャプテンの尾崎選手。吉田監督が一切怒るシーンが無かった事。
②危険エリア(以下、図の黄色▲のエリア以外でプレスに行かない事)
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試合全体を通して観た方はよくわかると思うのですが、FC東京U23の選手はまだ10代。躰の強さで沼津の選手達を押し切るというのは殆ど不可能に近かったと思います。
これは、「彼らの鍛え方が足りない」とかそういう理由では無く、成人男性の体つきに変化する時期の年代と成人男性の差を考えれば仕方ない事であり、足元の技術とコンビネーションで沼津の守備陣を打開する。という手段を択ばざるを得ない状況だったと思います。

故に沼津も技術でDFを剥がされる事は無く、1枚外されてもスペースが生まれない、シュートを打てる隙を与えない様自軍にコンパクトに陣取り守備を行った。
また9月に入ったとは言え、90分の闘いの中で相手を走らせる事で疲弊させ、後半に一気に押し切るというゲームプランも早々の先制点でより描きやすい物になっていたのではないでしょうか?
(実際に後半4得点を挙げ5-0の圧勝。無失点で終われた理由はほぼ前半にあった気がします。)

また、沓掛選手と菅井選手の並びが左右逆だった点も、左から狙うのが得意な久保選手の対策に沓掛選手を置いた事に加え、攻撃面でも中村選手の競り合いのフォローにいつもは菅井選手が行きますが、青木選手が居る事で収まり、むしろ左から松藤選手、白石選手、菅井選手と繋ぎながら右へ前進するという攻撃面でのバリエーションもあったと思います。

後半の得点に関してはCKからのセットプレーが多かった通り、身体の差が出た気がします。

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■いつもの寝そべりハーフタイムとスタジアムで感じた事■
話が前後しますが、この日もいつもの寝そべりハーフタイムショーが行われました!
「ラブライブ!ダービー」という事で、左がAqours 右がμ's
タイムリーな「熱盛」のネタや小ネタを挟んでくるのが最近のトレンド
Aqoursは現在、ライブツアーにアニメも2期がこの秋から始まるという事で、今回が今年一番の盛り上がり時だったかもしれません。

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うちの子達は土台になりました(笑)

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また、FC東京U23側でも寝そべりハーフタイムショーを行ったというツイートが…アウェイ側でやったチームは初ですね。いや、東京サポさん本当ノリがいい。
ハーフタイム明けはお馴染みの「月になんて」チャントからAqoursのメンバー渡辺曜の口癖、お馴染みのヨーソロー!からこの日も後半がキックオフしました。



◎少し、話が逸れますがスタジアムで感じた事をもう1個◎
この日、近くにいた小さな子を連れた親子連れがアスルグッズは一切身に着けていなかったので初めてなのかな?と思い、3本ほど予備を持って歩いていたのでタオルマフラーを貸しました。少しでも喜んで貰えたなら良かったなと思います。

また得点が決まってハイタッチしてた時に前の方で少年と不意にぶつかってしまった事が今回私はありました。幸いにもお互い怪我は無かったので「大丈夫?ごめんね」と声をかけて2人でハイタッチしましたが、子供にとってみれば大人にぶつかればトラックや車みたいな物ですから、改めて気を付けなければな。と感じました。

アスルクラロのゴール裏は試合終了後に、最後にコールリーダーさんの近くの少年が「来週も全力アスル!」
と未来のサポーターの子達も一緒に楽しんで好きになって貰える様な取り組みもしています。

たまたまかもしれませんが、上記の事が重なった故にもう一度そういった事を感じ考えるきっかけが今回自分にはありました。

◎試合後、沼津ご飯 てくてくアスル◎
さて、試合後のラインダンスの一幕でGKの大西選手からこんな一言が



沼津の飲食店に祝勝会に…加えてジョニーが温泉の事もアピール
”アスルONSEN”キャンペーン企画開始のお知らせ

そう言われたら、祝勝会に行くしかないね!
という事で、何人か周りの人を誘って祝勝会へ!

待ち合わせしてる間の空いた時間でAqoursのメンバー松浦果南推しの菓南さんへ
天皇杯の京都戦でお土産に持っていったジュレを食べてなかったので自分用に購入
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そして、自分たちが祝勝会に選んだのは朝も居た沼津港(どんだけ港好きなんだよ)

お店はライトアップされた水門「びゅうお」を見ながらハワイアンを楽しめるトニーズホノルルさん
ここはDVDの表紙になったご縁でAqoursのメンバー津島善子ヨハネ推し

推し…と言っても普通にオシャレなハワイアンズのお店。
この日も結婚式の二次会やカップルとかばかり。

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夜の港を一望できる展望デッキ
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この日は他にもいろんな場所で祝勝会やFC東京U23のサポーターの方々も沼津の飲食店でご飯を食べたりしてるツイートを見て、今年ブログでもこういった書き方やお店の事を書いているのも、ただ試合を観て帰るだけというのは寂しいなという思いからだった為、ちょっと嬉しくなりました。

嬉しさついでに祝勝会が終わり解散した後、電車組を駅まで送り届け、何故かフォロワーさんと夜の内浦へ海を見に出かける。(青春か)

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帰り際にAqoursのメンバー黒澤ダイヤ黒澤ルビィ姉妹のお家のモデルになった大川家前の三ノ浦案内所、三津セブンイレブンの前を通ったが、夜10時過ぎだったのに若い人たちがそれなりに人数がいました。悪騒ぎをしてたりとかでは無いですが、あれだけ足を運んでるのを見ると改めて大きなコンテンツがやってきたものだ。と感じます。

昼間に撮った大川家さん。由緒ある名家です。(一般家庭ですので行かれる方はご注意を)
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次は日曜、日本最新鋭スタジアムの吹田でナイター!なんたる幸せ!
現地観戦組の皆さま、うらやましすぎるぞ!

後半戦もアスルの試合から目が離せない!

皆さんこんばんは。
夜磐です。

先週はJ1がなかったので、マッチレビュー代わりに落書きを一筆投稿。
題して、「ジュビロ磐田 熱きGK列伝」。
適当に書き殴った記事なので、頭空っぽにして読んでくださいな。

では始まり~~。


森下伸一 (1983-1994)
伸さん
ジュビロ磐田がプロ化する以前、ヤマハ発動機サッカー部の時代から
Jリーグ参入1年目まで磐田のゴールを守ったGK。
日本代表歴も長く、1985年から1991年まで選出され続け、国際Aマッチ28キャップを
記録している。プロ化以前のGKにしては珍しくキックの精度を武器にしており、
非公式ながらキックターゲットでパーフェクトを達成したこともある。
ジュビロ磐田のJリーグ1年目が終わったところでまさかの戦力外通告を受け京都に移籍、
こちらでもJリーグ昇格を勝ち取った後、1997年に現役を引退した。
引退後はジュビロ磐田などでGKコーチを務め、現在はG大阪でGKコーチを務めている。
上記のキック精度はGKコーチとしても遺憾なく発揮され、セーブ練習でゴールの隅に
次々とシュートを打ち込み現役選手をキリキリ舞にさせた他、試合前のアップ後に
ピッチに散らばったボールを、ピッチサイドのボール回収係に向かって寸分の狂いなく
蹴り込む神業に発展。特にボール回収についてはあまりにも見事であったため、
「伸さんショー」と名付けられアップ後の楽しみとして観客から隠れた人気を誇った。
しかしながら、ジュビロ磐田でGKコーチをしている時期、小林弘記や松井謙弥、
八田直樹といったユース代表クラスの逸材たちの育成に悉く失敗。
八田はギリギリで持ち直したものの、将来を嘱望された弟子たちを多数手放すことに
なってしまった。とりわけ、武器であったはずのキックを弟子たちに伝授することができず、
彼の指導を受けた選手の大半が「キックが下手なGK」に育ってしまったことは
ショッキングだった。黄金期ですら「磐田の弱点はGK」とまで言われるようになってしまい、
2006年で一旦磐田のGKコーチから退任。2年後に復帰したが、2013年に再び退き
現在に至る。


ハーフナー・ディド(1995-1996)
コーチ兼任で磐田に加入したGK。元々はオランダ人だったが、
日本でプレーしている最中に日本国籍を取得しており、磐田には日本人として在籍。
ジュビロ磐田に加入する以前は、広島やヴェルディ、名古屋でプレーをしていた。
GKコーチとして、あのドーハの悲劇にも立ち会っている。
息子のハーフナー・マイクもプロサッカー選手になり、現在J1のヴィッセル神戸で活躍中。
日本代表に選ばれていたこともあって、ディドといえば現在ではマイクの父親と
いったほうが通じが良いかもしれない。
森下同様、ディドに関しても現役時代にあまりプレーを見ていないので、
筆者は選手としてのディドの特徴をあまり存じ上げないが、小学生の頃にたまたま
見に行った試合で異様な反射神経で相手のシュートを止めまくっていたのが
やたら印象に残っており、休み時間に友達とサッカーをする時に「ディドー!」と
叫んでセービングするのが一時的にマイブームになったことがある。
上記の通り、GKコーチ兼任だったが、同じ時期に在籍した大神いわく自分練習ばかりで
あまり指導してもらえなかったらしい。
現在は母国であるオランダで生活している模様。


大神友明(1993-2001)
大神
1993年にヤマハ発動機サッカー部に入団し、そのままジュビロ磐田に加入。
1996年頃から出場機会を得始め、翌年には完全にレギュラーに定着。
記念すべきジュビロ磐田のJリーグ初制覇に立ち会った。
Jリーグベストイレブンに選ばれ、代表候補合宿にも召集されたが、メンバー入りは無し。
時折見せるスーパーセーブを魅力とする反応系GKで、決定的なシュートを何本も阻止し
磐田のピンチを救っている。磐田に長く在籍しただけあって、前に飛び出した時の
処理が苦手、キック精度が低い、でもPK阻止が異様に上手いという、
後々まで続く磐田のGK伝統の礎を築いた。
1999年に怪我をして以降ややプレーの精度が下がり、2000年には完全に定位置を喪失。
2001年を最後に磐田を離れ、福岡へ移籍。2004年に現役を引退し、GKコーチに転身した。
栃木のGKコーチを務めていた2014年、磐田の監督に就任したかつての
同僚・名波浩に目をつけられ、久々に磐田に帰還。
名波体制下で現在も磐田のGKコーチを担当している。
カミンスキーをJリーグ仕様にアジャストしたり、プレーが不安定になっていた八田を
鍛え直したり、新人の志村をいきなり公式戦で使えるレベルに仕上げたりと、
GKコーチとしてはなかなかの成果を出しており、かなり優秀な指導者であることが伺える。
J1昇格やJ1残留の陰の立役者として、サポーターからの支持は厚い。


尾崎勇史(1987-2000)
尾崎
ヤマハ発動機サッカー部時代から在籍していたGK。
在籍歴では大神を上回っていたのだが、磐田在籍中は常に控えGKとされ、
森下、ディド、大神らの陰に隠れ続けていた。
スポットライトが当たったのは、入団から10年以上も経過した1999年。
正GKだった大神が怪我、復帰以降もプレーが安定しなかったため正GKに定着。
チャンピオンシップでは清水とのPK戦を制し、Jリーグ王者に輝いている。
翌年のゼロックススーパーカップでも名古屋とのPK戦を制しており、
PK阻止が得意という磐田GK伝統を見事に守ってみせた。
しかし、ゴール前以外のプレーが苦手という伝統も受け継いでしまい、
せっかく正守護神として迎えた翌2000年は開幕からミスを連発。
試合後のサポーターの大神コールにキレて挨拶を拒否するなどの行動が
問題視されたこともあり、2000年途中にアビスパ福岡に移籍した。
2002年には大神と入れ替わる形で福岡から広島へ移籍。
大神の加入がトリガーになったか否かは定かではない。
引退後は磐田東高校サッカー部のGKコーチに就任。
非常事務職員として現在でも磐田東高校に勤務している。
割と長く在籍した選手なのだが、OB会に参加していなかったり、過去のエピソードへの
登場率が悪かったりと、磐田OBにしては引退後の存在感が希薄。退団の経緯が
よくなかったので、もしかしたら現在でも磐田に不快感を抱いているのかもしれない。


アルノ・ヴァンズワム(2000-2003)
アルノ
2000年シーズン、正GK候補だった大神と尾崎が揃ってミスを連発し使える目途が
立たなかったため、チームが緊急的に補強したオランダ人GK。
テニス選手の経験があるという異色のGKで、長い手足を駆使して異様に広い
守備範囲をカバーする大型GKだった。PK阻止も得意としており、01年のダービーでは
アレックスのPKを見事に弾き出している。折しも在籍中は磐田がかのN-BOXを
中心に強固な守備を構築しており、鉄壁の3バックと併せて鉄壁と表現された。
在籍期間中の出場試合で通算防御率0.89という驚異の数字を記録。
30試合以上出場したGKの記録としては現在でもJリーグ記録として破られていない。
しかし、磐田の外で育ったはずの彼も「前に出た時の処理が苦手」という磐田の
伝統に染まっており、01年のCS1stレグでクロスの処理をミスして終了間際に
痛恨の同点ゴールを献上してしまったり、03年の鹿島戦ではPエリアを飛び出して
手を使って一発退場になるなどゴールを離れたところで不安定なプレーを露見。
その要素をチームが不安視したのか、当時磐田が獲得を目指していた川口能活との
トレード要員として、本人の了承なく先方に提示。結果的に獲得には失敗したが、
この事象が本人に露見し、ヴァンズワムとチームの間でトラブルが発生した。
02年の後期には、守備への対応の悪さを指摘されレギュラー剥奪。チームは完全制覇を
果たしたものの、優勝の瞬間をベンチで迎えることになってしまった。翌03年は
シーズン序盤にレギュラーを奪取するが、C大阪戦で2失点した直後に柳下監督から
ベンチ降格を言い渡され、ついに激高。「レギュラーを外されるなら退団する」と言い放ち、
実際にそのまま退団となってしまった。正守護神がシーズン途中に突然退団するという
ショッキングな出来事にサポーターは動揺を隠せず、守護神を失ったチームは
最終節のあの事件に見舞われることになる。
磐田退団後は、母国オランダのチームでプレー。07年で引退しGKコーチに転身、
現在は今年7月までハーフナー・マイクが所属していたデン・ハーグでGKを務めている。


山本浩正(1998-2006)
もっさん
地元の名門、清水東から加入した巨漢GK。入団からしばらくは公式戦ではお呼びが
掛からなかったが、大神が退団した02年から第二GKに抜擢され、さらに後期からは
レギュラーに定着。完全制覇の瞬間をピッチ上で迎えた。翌03年もレギュラーとして
開幕を迎えたが、開幕2試合で自身のミス絡みも含めて連続4失点。
さすがにベンチに落とされ、ヴァンズワムに守護神の座を譲った。
その後、シーズン途中からレギュラーに返り咲くも再び不安定なプレーに終始。
優勝が掛かったリーグ最終節の横浜Fマリノス戦では、同点で迎えた後半ロスタイムに
中途半端な飛び出しから久保竜彦に頭上を抜かれるヘッドを許し、歴史に残る
大逆転優勝事件を引き起こした。この失点さえなければ引き分けでも磐田が
優勝していたためチームに与えた損失は非常に大きく、この試合を最後に
磐田では起用されなくなった。06年に戦力外通告を受け、磐田を退団。
C大阪、愛媛、相模原を転籍し、2011年にサッカー選手を引退した。
引退後、練習なしでNFLのセレクションに参加するなどキャリアが迷走。
結局フットサルのゴレイロに転向しアグレミーナ浜松に所属、2シーズンプレーして
アスリートの世界から身を引いた。2014年から常葉大学サッカー部の
GKコーチに就任している。シュートに対する反応は敏感であったが、その他のスキルが
どう考えてもプロレベルに達しておらず、残念ながら身の丈に合わない世界に
放り込まれてしまった印象が非常に強い。彼自身、引退後のインタビューで、
「自分の立ち位置がわかっていなかった」と振り返っており、いろんな意味で
周囲に振り回されてしまったキャリアだったのかもしれない。


高原寿康(2003-2004)
大学No.1GKという触れ込みで2003年に加入したGK。大卒ということもあって
入団直後から公式戦に呼ばれており、ルーキーイヤーにリーグ戦2試合に出場している。
もっとも、デビュー戦は上記の通りヴァンズワムが退場になった後のスクランブル出動であり、
最初のプレーでいきなりFKをブチ込まれて最終的に5失点という暗澹たる結果に。
次の試合では大分相手に完封勝利を挙げたが、ヴァンズワム復帰後はその座を譲り、
自身の怪我もあってその後の磐田在籍期間中は試合に絡むことができなかった。
2005年に札幌にレンタル移籍、そのまま完全移籍となり2012年まで在籍。
その後は清水エスパルスを経由し町田ゼルビアに入団し、現在でも現役を続けている。
GKにしては非常に怪我が多く、キャリアの危機となる怪我に幾度となく見舞われている。
それでも現役を続けていられるのは、彼の不屈の努力があってこそのものだろう。


佐藤洋平(2003-2008)
ヴァンズワムがトラブルによりシーズン途中に退団してしまったため、
チームが緊急的に札幌から補強したベテラン選手。札幌在籍前は鹿島に所属しており、
97年のCSでゴン中山にボールを奪われ決勝点を決められるという
前代未聞のミスをしでかしている。プロへ進む際にヤマハ発動機サッカー部(磐田)と
住友金属工業蹴球団(鹿島)で獲得合戦をした過去があるなど何かと磐田と
縁がある選手であり、磐田に来たのも必然だったのかもしれない。
03年最終節で上記の通り山本が大失態を犯してレギュラーから降ろされたため、
天皇杯で緊急的にレギュラーに定着。移籍前に所属していた札幌がJ2最下位で、
そのチームでも控えであった佐藤に対し、サポーターも当初は懐疑的な
視線を向けたが、蓋を開けてみれば山本よりも圧倒的に安定しており、
チームはまさかの天皇杯制覇を達成。翌年のゼロックススーパーカップでも、
因縁の横浜FマリノスとのPK戦を制する活躍を披露した。
シーズンが始まっても攻守を連発してスタートダッシュに大きく貢献、結果的に優勝は
逃したものの攻守のインパクトは大きく、ファン投票でオールスターにも選出された。
つくづく、03年最終節で佐藤が使われなかったのが惜しい。
ファンからの信頼も絶大であったが、やはり加入時でベテランであったゆえに怪我も多く、
シーズン後半にはいくつかの試合を欠場している他、翌年には川口能活が加入したため
第二GKに落ち着いた。07年を最後に現役を退き磐田の下部組織でコーチをしていたが、
トップチームのGKに怪我人が多発したためシーズン途中にチームの要請を受け現役復帰。
ドタバタするチーム事情に最後まで振り回されたが、嫌味なく付き合うあたり
人良さが滲み出ている。完全に現役を退いた後は、仙台のGKコーチに就任。
2015年からは、U-15、およびU-22日本代表のGKに就任。
最近、酔っ払って磐田の鈴木秀人コーチの元によく電話をかけているらしい。


岩丸史也(2004)
2004年に神戸からの期限付きで半年だけ在籍した選手。
余談だが、トレード要員として磐田が神戸に差し出したのがよりによって山本であり、
「どうみても等価交換ではない」とサポーターの間で指摘されていた。
ユース代表歴があり、将来を嘱望されていたが、入れ替わりの少ないGKという
ポジションの関係上様々なクラブを渡りあることになり、キャリアを通じて
7つものクラブに在籍した経験がある。磐田もその中の一つ。
加入時、佐藤が怪我で出られなかったため、磐田では7試合に出場している。
磐田在籍時のハイライトは、国立競技場でのFC東京戦。
この試合は、プロ初先発となった大井健太郎が前半36分に足裏タックルで一発退場、
その後ずっと攻められ続けるという過酷な展開だったのだが、
岩丸がスーパーセーブを連発しゴールを死守。FC東京の攻撃を跳ね返し続け、
0-0の引き分けに持ち込むことに成功した。まさかの活躍に、サポーターは狂喜乱舞。
完全移籍での買い取りの上レギュラー定着も、という声も上がるほどだったが、
翌年に川口能活が加入することもあって買い取りは見送られた。
翌年は群馬にレンタル移籍。さらに翌年には福岡と移籍を繰り返し、最終的には2014年に
群馬に復帰したシーズンを最後に現役を引退した。
引退後はサッカー界から身を引き、サラリーマンをしている模様。


松井謙弥(2004-2008)
小学生の頃からジュビロの下部組織育ち、かつアンダー代表の正GKという肩書を持ち、
磐田ユース史上最高傑作とまで言われ絶大な期待を集めていたGK。
基礎スキルが高く、磐田育ちには珍しくキック精度も高いというオマケ付き。
誰もが将来の正GKとして疑わなかった。しかし、そう期待通りにいかないのがプロの世界。
川口の加入という想定外はあったとしてもトップ昇格後磐田ではあまり実力が伸びず、
たまに起用されるカップ戦でも結果を出せない有様。コーチングの声が小さく、
プレーが消極的ともっぱら噂されるようになる。
そんな状況で出場した07年天皇杯一回戦順天堂大学戦、チームが6点を奪い快勝する一方で
松井は個人的なミスでゴールを許し、大学生相手に失点。
この試合を境に盤石だったはずの立場が不安定になり、また1年後輩の八田の方が先に
プロで通用する目途が立ったことから、2009年にはレンタルで放出されてしまった。
2010年には完全移籍でC大阪に移籍、磐田を退団している。
大成するポテンシャルを備えていただけに、彼の育成に失敗したことで磐田は
志村の登場まで「GKを育てられないチーム」というレッテルを張られることになった。
C大阪では一時的にレギュラーに定着することもあった模様だが完全定着には至らず、
放出されて徳島、川崎と転籍。2016年からは大宮に所属している。
昨季は磐田との天皇杯で八田との磐田ユース対決が実現。5-0で勝利し、
先輩の風格を見せつけた。


川口能活(2005-2013)
川口川口2
日本代表として長らく活躍した、説明不要の炎の守護神。
加入前から磐田は幾度となくオファーを仕掛け、2005年にようやく想いが通じて加入となった。
磐田在籍時は、ラスト1年を除いて怪我がなければ基本的にレギュラー。
川口加入時の磐田のフィールダーが既にかつての守備力を失っており、GKにはどうしようもない
失点が多かったため、活躍に反して防御率や失点数などの数字は残していないが、
自慢のセービング能力をいかんなく発揮し磐田のゴールを支え続けた。
2006年にはその活躍が認められ、Jリーグベストイレブンに選出されている。
2008年の入れ替え戦では顔面セーブで脳震盪を起こしながらもJ1残留を勝ち取り、
2010年のナビスコカップ決勝ではPKセーブで久々のタイトル獲得に華を添えた。
南アフリカW杯メンバーにサプライズで選出された時の歓喜は、なかなか忘れられない。
そんな彼も年齢には勝てず、プレーの精度の低下と共に怪我が増加。
残留争いをしていた2013年には八田にレギュラーを奪われチームも降格、
そのまま退団と相成った。退団後にファン感謝デーに招かれて退団の挨拶をしたり、
対戦時にサポーターが大歓声を送り川口もそれに応えるなど、チームとの関係は良好。
磐田在籍時の個人的なハイライトは、4-3で磐田が制した2006年の等々力での川崎戦。
3失点こそ喫しているが、この試合の磐田の被シュート数は実に26本。
その大半が枠内に飛ばされており、川口は90分で20本近くセービングするという忙しさだった。
余談だが、この試合の磐田のシュート数も23本に達しており、両チーム併せて
約50本ものシュートが飛び交っている。狂気の乱打戦として是非ともJの記録に残したい。
磐田退団後は岐阜を経由し、現在はJ3のSC相模原に所属。
かつての後輩である安永聡太朗の元、現役生活を続けている。


八田直樹(2005-)
八田
ユースの同期や先輩、後輩たちが次々と退団する中で磐田に在籍し続け、
気が付いたらNo.1の古株になってしまった生え抜き選手。
鋭いセービングを得意とし、スタンドを沸かせるスーパーセーブを魅力とする。
その一方で、磐田育ちのGKの宿命か、前に出た時の対応やフィールディングは苦手。
特にキック精度は数いるJリーグのGKの中でも指折りに低く、キックが直接相手に渡ったり、
ラインを割って相手ボールになったりと、不得意であることを伺わせるシーンが多い。
試合に出始めた頃は、キックがまっすぐ飛ぶだけでサポーターに拍手されたりしていた。
また、しばらくはメンタルが安定せず、相手サポの目の前でプレーするとあからさまに
動揺してミスをする癖があり、八田の出場時はキャプテンがコイントスに勝ったら
必ず逆エンドを選択していた時期もあった。メンタルについてはキャリアを
重ねることで改善され、現在では必ず逆エンドを選択することはなくなっている。
2009年、怪我で離脱した川口の代役を任されたことでJ1での経験を積み、実力が向上。
2010年以降もセカンドキーパーに定着、その頃から川口が怪我で不在となるケースが
増えたため、出場機会が増加し2010年から2012年の3年間でリーグ戦40試合に出場している。
2013年にはついに川口からスタメンの座を奪い、レギュラーの座を獲得した。
しかしその年の磐田の守備力が異様に低かったことが災いし、リーグワースト2位の
防御率を記録しチームも降格。さらに川口に代わって藤ヶ谷の加入が決定し、
再び第二GKとしてJ2初年度を迎えることになった。シーズン中の努力により
藤ヶ谷からもレギュラーポジションを奪ったものの、今度は山岸の乱に見舞われJ1昇格に失敗。
藤ヶ谷が去った代わりに今度はカミンスキーが加入、さすがにカミンからは
レギュラーを奪うことができず、2015年以降は第二GKの座を後輩の志村と
争う日々に身を投じている。出場機会こそ以前より減っているが、大神GKコーチの
指導が良いのか、このところはたまに出場すると以前より安定感が増している。
2016年、カミンの負傷によりリーグ戦に出場。3年ぶりのJ1での出場だったが
臆することなくプレーし、監督から「磐田の宝」と名指しで絶賛された。


牲川歩見(2013-2015)
牲川2
ジュニアユース世代からジュビロの育成組織で育ってきた生粋の磐田育ち。
世代別代表の正GKとして世界を相手に戦った経験があり、
将来の定位置を半ば約束されたような形で2013年にトップ昇格を果たした。
もっとも、経験が必要とされるGKというポジションの関係上、
将来性があるとはいえプロ駆け出しの彼が公式戦に呼ばれることはなく、
トップ昇格後の3年間でカップ戦含めて磐田での公式戦出場数は0。
J3のU-22選抜では2014年と2015年で21試合に出場したが本人は物足りなかったらしく、
プロ4年目となった2016シーズンに出場機会を求めてサガン鳥栖にレンタル移籍した。
しかし、鳥栖にはA代表候補の大型GK林が在籍しており、実力、実績共に後塵を拝する
牲川が試合に出られるはずもなく、こちらでも公式戦出場は無し。
試合勘を失っている間に世代別代表のレギュラーの座を失い、
リオ五輪の本大会メンバーからはも落選してしまった。
さらにその頃磐田では、正GKのカミンスキーと第二GKの八田が揃って負傷し
第三GKにお鉢が回るという緊急事態が発生が発生しており、結果として
磐田に残っていた方が出場機会を得られていたという皮肉な事態に。
さらにその時、代役として指名された後輩の志村がJ1の強豪を完封するなどの
成果を出してしまったため、立場が完全に逆転。
2016年の一年だけで、いろいろなものを失ってしまった。
2017年は、今度はザスパクサツ群馬にレンタル移籍。元磐田指揮官である森下監督の元で
出場機会を得て、再起を図っている。
凡ミスで失点するなど、かなり調子を落としている模様ではあるが、
なんとか復調して磐田で活躍してほしいところ。


藤ヶ谷陽介(2014)
藤ヶ谷
放出した川口に代わる正GK候補として磐田がG大阪から獲得したベテランGK。
札幌や大阪で名を挙げた選手だが、出身地は浜松で出身校も磐田東と静岡県西部に
ルーツを持つ選手であり、何気に地元への凱旋帰還での加入だった。
G大阪のJリーグやアジア制覇に貢献した実績豊富な守護神だが、
その一方でイージーミスで失点を重ねる「やらかし」のイメージが非常に強く、
その傾向が顕著だった2010年代前半には、GK個人のミスで失点することに対して
「ガヤる」という蔑称が付けられるほどにやらかし屋として有名なってしまった。
磐田加入決定時のサポーターの反応も悲喜交々、2012年のJ1で藤ヶ谷の防御率が
リーグ最下位だったデータを指摘し懐疑的な声を上げるサポーターがいる一方で、
同じ年のワースト2位が八田であったため、八田でも藤ヶ谷でも対して違いはない、
むしろ攻撃力があるだけ藤ヶ谷の方がいいという声もあった。
今更ながらリーグワースト1,2のGKでポジション争いをさせようとした当時の磐田の
判断は、狂気の沙汰だったと言って差し支えない。
一応、開幕前の八田とのポジション争いを制し、開幕を正GKとして迎えたが、
開幕戦でいきなりFKを叩き込まれ敗れるなど守備が安定せず、
北九州に3失点を叩き込まれ逆転負けした翌週から八田にスイッチ。
不運にもそれ以降一時的に守備が安定してしまったため、
そのまま第二GKとしてシーズンを終えることになった。
藤ヶ谷が出ていれば山岸事件が起きていなかったかどうかは、定かではない。
チームがJ1昇格に失敗したこと、またカミンスキーが加入することもあり、翌年オフに退団。
古巣のG大阪から逆オファーを受け、第二の故郷ともいうべき大阪に舞い戻っていった。
結果は残せなかったが、磐田の危機を救おうとしてくれた選手であることは事実であり、
サポーターからはきちんと感謝をされている。


カミンスキー(2015- )
カミン
服部強化部長が探し当てたJリーグ初のポーランド人。
前年、昇格に失敗したとはいえ八田が比較的安定していたので、加入が発表された
当初は「外国人枠をGKで使うなんて」という反応が多数見られたが、
シーズンが始まってからの大活躍でそれらの否定的な意見を一気に撤回させた。
シュートストップ能力が異様に高く、長距離、至近距離どちらのシュートに対しても
抜群の反応でゴールから弾き出す。また、相手FWとの間合いの攻防にも長けており、
決定的なチャンスであってもシューターとの間合いを的確に詰めることで
相手のシュートを枠外や自分の守備範囲に誘導することができる。
加入当初はJリーグのスピードに慣れず、バックパスをゆっくり保持してピンチを招いたり
することもあったが、大神コーチの指導の下でJリーグに適合してからは
プレスを想定したキックを習得、ミスは減少した。また、フィジカルも向上しており、
来日当初に散見された「触ったけど弾き出せない」という事象も解決傾向にある。
J1初挑戦となった昨季も、頻繁に好守を披露しチームの残留争いに大きく貢献。
怪我でシーズンの1/3を欠場していなければベストイレブンさえも狙えたほどの
インパクトを残し、シーズンオフにはリーグ王者の鹿島が獲得を画策した。
惜しむらくは、こんなスペシャルなGKがいても失点が50に達してしまう磐田の守備の脆弱さ。
他チームのサポからは「磐田はカミンスキーがいなくなれば終わり」と思われている模様だが、
残念ながら契約を2019年まで延長しており、仮にカミンスキーを取られることがあれば
磐田に多額の違約金が入る。その金持ってもう一度ポーランドからGKを買ってこればいい。
日本での生活、およびJリーグでのプレーは楽しいらしく、特に給料が毎月きちんと
支払われることに感動していた。どんな環境でプレーしていたのだろうか。
日本の治安の良さに感心するコメントをしばしば残していることも含めて、
割と苛烈な環境で育ってきたのかもしれない。


志村晃(2015- )
千葉の名門、市立船橋高校サッカー部から加入した将来性豊かなGK。
今年で加入して3年目を迎える。入団からしばらくは試合に出ているところは
見られないだろうというのが大方の見方であったが、加入2年目の昨季、
レギュラー格の選手に怪我が相次ぎ、高卒2年目にしてまさかのレギュラーに定着。
しかも若手とは思えない安定したプレーを披露し、FC東京やら鹿島やらといった
破壊力のある攻撃陣相手に完封を果たしてしまった。
予想外のブレイクにサポーターは狂喜乱舞。カミンスキーが復帰して以降は
再び控えGKとなり、今年もその立場は変わっていないが、
「いざとなったら志村がいる」という心強さはチームにとってありがたい。
ぜひとも将来的に成長した姿を見たい。



J1への熱い想いを伝える弾幕。

我々からすると有難いことに、今の市長は少なくともその想いに理解がある方なので、サッカー専用かどうかは別としてJ1基準を満たせる物を用意してあげたいものである。


さて、今日もメモ形式。

水戸はいつもの4-4-2。
名古屋も4バックなんだろうけど、左の秋山が高めな位置を取ることが多いようで、3枚に見える局面も多い。

7分、橋本のフリーキックを楢崎はキャッチ出来ず前田がこぼれ玉を押し込むがオフサイド。
やっぱ早い。生で見るとトップスピードもそうだけど、ギア入れた時の初速が恐ろしく早いように見える。

前半頭から水戸は結構強度高めで前からハメに行こうとしてるように見える。まぁ、この2トップだし相手が後ろから細かく繋ぐのわかってれば行くわな。

名古屋は決してスタイルは崩さない、ただハーフライン付近もしくはその手前で引っかかることも多く、危ない出だし。

前田は飛び出しのオフサイドがとにかく多い。25分で早くも5回くらいあったか?それだけラインとの駆け引きを繰り返してる証拠。一回成功させてしまえば良いので、繰り返して欲しい。

34分、水戸のクロスの処理を名古屋がもたついてしまい前田が掻っ攫ってゴール。

終了間際に前田が1人スルーパスからゴールを掠めるシュート。
もう、サニブラウンとかと戦ってこいよ(笑)。

前半終了。1-1。
前田のスピードに圧倒されてる感じがどうしても目立つが、中盤の橋本と内田がよく頑張ってる。このエリアで結構ボールを潰せており、シャビエルまでボールがいかない状態。
我慢出来ずにシャビエルが低い位置まで降りてくるシーンも散見される状況だが、風間さん的にはその辺許容してるの?
名古屋はまだまだチームスタイルを構築している半ばという雰囲気満載で、それこそこの間の豪州代表を見ているような気さえ、、、


後半8分、コーナーキックからシモビッチで同点。
これがあるからな〜。高さは。

水戸は後半入ってから中盤で寄せられなくなってしまっておる。名古屋の中央に入るパスを前半は潰せてたと思うんだけどな〜。バテた?前線は確かに追わなくなったので、コースの限定は難しいかもしれない。

名古屋はボール持てる展開になったけど、シャビエルに集中してって感じにはならないのね。
もっと触らせても良い気がするけど。
ってかもっとボールを持つ姿を見たい。

水戸は林を投入。この風が強い日に彼が強みを発揮できる気がしない。

推進力を持ってる湯澤も下げちゃうのか。う〜ん。



あっ、試合終わってた。。。

1-1。

水戸は前半の良い流れの時に2点3点取れてた可能性もあった試合だし、名古屋は後半のあの流れで逆転できないのはちょっと痛い。
双方共に少し頭を抱えたくなる試合だったのかなと。


シャトルバスの待機列、流石に酷くないか。まぁ観客が増え過ぎちゃったんだろうけど。。。
ひとつ気になるのは、今日で言えば「水戸市の日」とかやって各自治体を持ち回りで招待してるけど、このシステムって何人くらいがくるかって想定できてるのかなといつも思う。メインサイド席とか結構立って見てる人も居たもんでね。

藤沢からだと遠いけど、また来ます。

ポンチョビ

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