フットボール マンション

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2015年07月

久しぶりのノジマステラ観戦である。
前回の記事はこちらから→プレナスなでしこリーグ2部 ノジマステラ対ASハリマアルビオン


今日の対戦相手はアンジュヴィオレ広島というチームらしい。
(正直、今日初めて知りました、、、)
熱心なサポーターが20名ほど駆けつけ、ポク!!ポク!!と甲高い木魚のような何かを鳴らしながら応援していた。

気になった選手はMF10 葛馬、FW9 山口、FW11齋原。
10番の葛馬は先制のロングシュートを放った。
9番山口、11番齋原は終始、ノジマステラの小兵DFたちを物ともせずボールを収め、序盤は彼女たちの動きにキレがあった。
チームとしても、前線の選手への素早い、正確な配給を心がけており、中盤がお留守になってしまうノジマステラディフェンスを何度となく脅かした。


一方、ノジマステラはこれまでのサッカーを継続した路線。
1トップ権野へボールを当てて、セカンドボールを川島はるなや田中陽子が回収、ラストパスやドリブル突破を試みていた。
CB坂本から、左WGの長澤への配球や、LSB小林から裏への飛び出しを見せるアタッカーへの配球など左サイドがストロングサイドとして機能していた。
一方、右サイドの攻撃はコンビネーションでは深い位置まで突破することは少なかった。

試合はアンジュヴィオレのお粗末なセットプレー守備に助けられた格好だが、最終盤に吉見を下げた後に4-4-2へ変更した後のサッカーがまったく機能しなかった点は課題があるだろう。

権野貴子は尾山キャプテンからのクロスに合わせ、値千金の得点をget。
点がなかなか取れず、批判の対象になることも多いが、今日の試合では競り合いで勝つシーンも多く、力強さと収まりどころとして機能していた。
菅野監督から「自分でいけ」というゲキも飛ぶ中、反転から多くのシュートを放つ姿勢はこれまでの彼女にはなかった貪欲さを感じた。
とはいっても課題は多く、川島はるなが得意とするようなスペースやDFの背後に走りながら、味方のパスを引き出す動きは物足りなさを感じてしまった。
彼女が機能すれば、それだけ中盤の3枚が生きてくるので、今後の成長に期待だ。

LSBの小林は試合中に何度も自らの特徴を出しており、良い印象を受けた。
クロスの正確さや、一列前に上がった際のプレーの精度を上げていきたい。

CBの平野はヒヤヒヤさせられた。
相手FWの寄せに対して自分がボールをどのように処理していくかの判断が甘い。
また、身長が低いゆえに競り合いに持ち込まれると弱さが出てしまい、相手から攻め所にされてしまう。
自分の特徴を生かすなら、出足早く相手に食いついて潰したい。
その為には相方の坂本、一列前の吉見とのバランスが重要になる。

GK小林は平野に対してもっと指示を出していきたい。

安定したボールテクニックと身のこなしを見せた田中陽子だが、気になる点があった。
サイドから中央のエリアにドリブルをした後の切り替えしが同じであった。
彼女のようにドリブルに優れた選手からボールを奪うことは難しいと思うが、それでも何度も同じターンを使っていては1つ上のレベルの相手と当たったときに潰されてしまうのではないかと。

CB坂本、RSB石田はもっとパスを正確に行いたい。
全体が前がかりになっているとき、プレゼントパスが多い。
坂本は正確なサイドへのフィードを持っているだけに、凡ミスは避けたい。
特に、足が速いとは言えないDFだけにカウンターでヨーイドンのリスクは回避したいところだ。


結果は4-3だったが、4-4でも、6-6でもおかしくない試合だった。
両チームともスーパーゴールがあったにせよ、守備の課題を再確認して次回の試合に臨む必要があるだろう。

SC相模原の企画で、戸田和幸さんのトークショーに行ってきた。


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(以下、公式HPより)
SC相模原がサッカー好きにお届けするトークイベント《football studio》 好評につき第2弾の開催が決定しました。第1回目の中西哲生さんに続いての今回のゲストは、サッカー元日本代表 2002年日韓ワールドカップでは闘志溢れるプレーで日本に “赤モヒカン”旋風を巻き起こした地元相模原市出身 戸田和幸さん。 少年時代の話から日本代表としてW杯出場時のエピソード、海外移籍時の体験談など彼のサッカー人生を振り返りながら、今後の日本サッカー界への思いを熱く語っていただきます。歯に衣着せぬ男“戸田和幸”のぶっちゃけトークをお楽しみください!サイン会もあります!





私の中での戸田和幸
彼を初めて知ったのは日韓ワールドカップの少し前だった。
01年に代表デビューし、02年日韓ワールドカップでは日本の中盤での守備的な仕事を一手に引き受けていた彼のイメージは、まさしく”守備の人”。
激しい球際でのファイトを繰り返していた戸田さんは、体格や経験に劣る日本代表の中でも一際目立つ存在だった。
特にあの赤い奇抜なヘアースタイルは、プレー以上に強烈なインパクトをTVの前のファンに与えていた。

その後、プレミア名門のトットナムに移籍して以降、戸田さんを目にすることはほとんどなくなった。
当時高校生だった私には有料放送を見る手段もなければ、そこまでサッカーに対する熱量がなかった。
海外組を見ようとすれば、日本代表か各種スポーツニュースくらいなもの。
しかし、彼は次期監督のジーコに招集されることがなかった。
(正確には、1度呼ばれたが拒否したらしい)
以降、彼がプレーするのを生で見る機会は訪れず、2013年に現役を引退した。

それでも戸田さんは02年の英雄たちの1人であり、今でもそれが色あせることはない。
私をサッカーの世界に引きずりこんだ日韓大会のメンバーに会える、これだけで胸が高鳴った。



戸田和幸という男
時に冗談を交えながら、SC相模原のスタジアムDJテディとのトークショーが始まった。
トークは日韓大会、欧州移籍、現在の戸田和幸さんと話は時代を追って進んでいった。
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戸田自らが”言うことは言う性格”と自負するだけあり、若い時から意見を言った結果、どのようにキャリアに作用したかが何度か語られた。
海外移籍で、自分自身が日本では周囲から見て浮いた存在だと位置づけられていたが、海外では自分の意見を言うのは当然であると感じたようだ。

たしかに日本人は自己主張が苦手な人が多い。
周囲から浮いてしまうことを恐れ、進んで意見をいうのをためらった経験は誰しもが持っているだろう。
戸田さんの経験からも、自己主張をした結果が全て良い方向に転がったわけではないようだが、サッカー選手は1人の個人事業主であり、ピッチには11人しか立つことが出来ず、またそのキャリアは決して長くない。
そこに妥協があって良いのか、あとで後悔しないかを思えば、おのずとどちらが望ましいかがわかる。


トークショーは、戸田さんがJリーガーになるきっかけや年代別代表に選ばれた理由など、自らを細かく自己分析した軽快な語りを展開し、スカパーでの新進気鋭の解説者な一面とはまた違った本音の戸田和幸さんを表現してくれた。







戸田和幸の今後

語りの多くはおよそ、戸田和幸のバイオグラフィであったと思う。
多くの人が13年前の日韓ワールドカップを如何に彼が語るかを期待していただろう。
私もその1人である。

しかし、戸田和幸さんに期待するトークはそれだけではない。

この2年余りで、戸田和幸さんは気鋭のスカパー解説者として、サッカー界に再登場したのだ。
彼が歩み始めた第2のキャリアをどのように語るか。
そして、そのキャリアの先に何を考えているか、そこに一番の興味があった。

例えば、名波浩のように自らの古巣に指揮官として帰還するのか、野々村芳和のようにフロントに入っていくのか、はたまた安永聡太郎や平野孝のように解説者やサッカー番組MCといったメディアの人になっていくのか。
先日、メディアの人だった小倉隆史はGM補佐として古巣名古屋のフロントに入り、第3のキャリアを歩み始めた。

第2のキャリアを歩む上で、戸田さんは自らのイメージを変えたいと思っているようだ。
かつての赤い髪の毛をした反則すれすれのハードな守備をするクラッシャー、ダーティ、変わり者といったネガディブなイメージや激しく相手に当たる勇敢であるものの、頭脳的ではないプレーという周囲の自分に対する先入観に強烈な嫌悪感を彼は抱いている。

彼はトルシエから「狂った犬になれ」と言われた言葉をとても印象的に覚えていると語った。
「自分は犬でもないし、狂ってもいない。」と当時の心境を述懐した。
私の戸田さんに対するイメージはまさしくこの言葉に合致していた。


それを彼は今、壊そうとしている。



戸田さんが目指すのは今までの解説者とは違い、攻守に渡りキッチリ語れること。
彼は自らが守備の専門家として現役時代を過ごしてきたこともあり、守備のディテールを語ることを強調した。
これは日本の解説者や指揮官が欧州と比べ、守備への考え方や指導が立ち遅れていると実感しているとのことだった。
彼は先日の川崎フロンターレ対ボルシア・ドルトムント戦でドルトムントが見せた守備の在り方に驚いたと語ったが、Jリーグの中でも異端な川崎フロンターレとの対照で、より鮮明で強いインパクトがあったのだろう。
もちろん、守備的なMFやDFとしてキャリアを築いたからと言って、攻撃の解説を怠ることせず、解説者が本来あるべき姿を実現したいと考えているようだ。


また、その後のキャリアとして多くの人は彼が将来的に指導者(それもJクラブ)になることを期待している。
今現在は、A級ライセンスに挑戦中であり、解説者の仕事をしながらいつか来るその時に向けて準備をしていると今後の自身について語った。


彼のように自らを語れる人は概して、他人に喋ったことは自分自身に言い聞かせていることと同義であることが多い。
こうした場で解説者としての在り方や将来の自分について語り、周囲に宣言することでストイックに自らを追い込んでいく、日本代表という選ばれたほんの一握りしかいない、真のプロスポーツ選手らしさを見せてくれた。



トークショー後はサイン会と写真撮影。
念願の日韓大会の選手と初めて、2ショット写真をテディに撮ってもらった。
近くで見た印象は、意外と細いし、そんなに大きくない。
現役を引退しているのもあるけど、先日ワンツードンで見かけた成田くんの方がだいぶ大きく見えた。

日曜日のレノファ山口戦はスカパー放送があり、戸田さんが解説でギオンスタジアムに来る。
現地観戦後、自宅でさらにもう一度オンデマンドで見ようと今から鼻息を荒くしている。

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トークショー終了後、チョリパンを初めて食した。
木下通訳が呼びこみをしており、後から出てきた戸田さんも食べていた。
ソーセージ一噛みすれば激アツ肉汁があふれてきて、とてもおいしかった。


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おまけ

静岡には娯楽が少なく、エスパルス時代チームではパチンコかゴルフが定番だったという話があった。
数日前に清水のレジェンドが良くパチンコ屋で目撃されていたという記事を見ていたので納得してしまった。

トルシエとの関係について何度か語る場面があったが、当時は練習中に戸田とトルシエが衝突したことがスポーツ紙の記事になったりもしたので、良く聞かれることなのだろう。 
02年を知る世代にとっては掴みのトークとして、一気に引き込まれた。

結果だけで上位カテゴリに上がったとき、そこで勝てなくなったら、大変だという話はまさしく多くのクラブが考え、取り組むべき課題。
J3では、町田、富山といて、J2には千葉、磐田、京都、札幌とJ1での実績や経験があっても、下位カテゴリで苦しんでいるクラブがある。(今シーズンの磐田は結果はついてきているけど)




最後に、
メモを取って聞けばよかったなぁと、、、いまさら、、、
他にも色々話があったんだけど、今は覚えていても、そのうち忘れちゃうんだなと思うと勿体ないよな。

 35歳♂独身でもめっちゃマスコットキャラクター好きでして。
女の子やちびっ子達だけが好きだ!という世間の見方はあるかもしれませんがw
こういう輩もいるっていうことを知っておいてほしいですね(笑)
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基本的には初めていくアウェイでは必ずぬいぐるみをお土産で買ってきますね。中々いけない場所は 味スタのアウェイグッズ売り場で買ったり。
近くでの東京からみの試合意外の観戦がある時に買ったりして。



めざせ、全チームコンプリート。

徹底解剖!ヤマハスタジアム
~第三夜 スタジアムの歴史編~


皆さんこんばんは。
常にまじめでクールな男、夜磐です。

第三回となる今回は、ヤマハスタジアムの歴史を皆様にご紹介しようと思います。


■前段
皆さんは、ヤマハスタジアムを見ていて、何か違和感を覚えませんか?
明らかに左右非対称のスタンド、真新しい部分と年季の入った部分の共存・・・。
一言で表現するのであれば、「全体的な調和の欠如」とでも言いましょうか。
不思議な構造が随所に含まれた姿は、さながらツギハギのような印象を受けるでしょう。
それもそのはず、このスタジアムは度重なる改修により、文字通りのツギハギを
行ってきているのです。
本日ご紹介するのは、そのツギハギの物語・・・


■Jリーグ以前
現在ヤマハスタジアムと呼ばれいているスタジアムは、
ジュビロ磐田がプロ化する前、すなわちヤマハ発動機サッカー部であった時代から
本拠地として使用されてきたサッカー場です。
当時の呼称は、"東山グラウンド"。
両ゴール裏にスタンドはなく、客席は現在のバックスタンドよりも小規模のものが
設置されていたのみだったようです。


■建設に至るまでの経緯
さて、皆様もご存じのとおり、1993年にJリーグが開幕しました。
初代参加チームを募るにあたり、実業団の強豪であったヤマハ発動機は当然手を挙げました。
しかしながら、当時の磐田には有料試合を開催できるスタジアムがなく
早急に本拠地する必要が出てきたのです。

しかし、自治体としての規模が小さい磐田市には、Jリーグ規格を満たす
競技場を建設することは不可能。
となると、大きな経済基盤を持つ東隣の浜松市に協力を要請するのが話が早そうなのですが、
産業都市である浜松市にはヤマハ発動機のライバル企業が数多く存在します。
彼らは、自らが収めた税金が、ライバル企業であるヤマハ発動機のために
税金が投入されることに激しく反発。
S社の社長が直々に「Jリーグのために浜松市の金は一円も使わせん」と公言する
事態まで発生しました。

そこで手を挙げたのが、磐田市に隣接する浜北市。
現在は浜松市に吸収合併され"浜北区"とその名を変えてた浜北市ですが、
当時の浜北市長が3万人規模のサッカースタジアムを建設し、
ヤマハ発動機サッカー部を誘致することを表明しました。
これにはヤマハ発動機サッカー部も大変に乗り気で、
フランチャイズは事実上内定したも同然となっていました。

しかしここで事件が発生。
フランチャイズを先導していた浜北市長が収賄により逮捕され、
誘致計画そのものが頓挫してしまった
のです。

慌てたヤマハ発動機サッカー部は、苦し紛れに静岡県東部の草薙競技場を
本拠地として申請しましたが、ホームタウンから電車で一時間以上も離れた
本拠地など認められるはずもありません。
結局、参入を争っていた清水に参入争いで敗れ、初年度からの参加を逃してしまいました。

こうして本拠地難民になってしまったサッカー部を見かねたヤマハ発動機が、
東山グラウンドを大改修し、スタジアム化することを決断
こうしてヤマハスタジアム、当時の呼称で"ジュビロ磐田スタジアム"が誕生したのです。

しかしまぁ、改めて振り返ると、ジュビロ磐田ってけっこう難産だったんですね・・・。


■スタジアム誕生と迅速な増築
紆余曲折の末に誕生したヤマハスタジアムですが、完成当初は貧相なスタジアムでした。
メインスタンドとバックスタンドはほぼ現在と同じ姿で存在していましたが、
ゴール裏は小さい立見席が申し訳程度に設置されているのみ。
当然オーロラビジョンもなく、"凸"の形をした妙なスコアボードが異様な存在感を
放っていました。

とはいえ、当時はJリーグバブル。
慢性的な座席不足を解消すべく、2年目には早くも増築が行われました。
増築されたのは、北側2Fスタンド。現在、アウェーサポーターに
割り当てられているゾーンです。
当時は北側スタンドがホームサポーター用に割り当てられていたため、
増築工事の対象も北側スタンドが対象となりました。

こうして、恐らく他サポーターから最も広く認知されているであろう
ヤマハスタジアムの形が出来上がりました。
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[増築された2Fスタンド]


■10年目での改修
さて、ようやくスタジアムとしての歴史を刻み始めたヤマハスタジアムですが、
2F席が増設された1994年以降はドラスティックに姿を変えることはなく、
立見席の座席化や座席の交換など、メンテナンス程度の小さな改修に留まっていました。

様子が変わったのは、ジュビロ磐田の昇格10周年にあたる02~03年頃。
02年、現在の南スタンドとバックスタンドの間にオーロラビジョンが設置されました。
それまでは変な形のスコアボードしかなく、出場中のメンバーを確認することさえ
骨が折れたので、オーロラビジョンの設置により観戦環境は劇的に向上しました。

そして03年、ヤマハ発動機ラグビー部のプロ化に伴い、ラグビー開催に対応する
改修を実施。ピッチ周囲のランニングトラックが廃され全面芝生となり、ピッチと
スタンドの壁の間に緩衝材が設置されました。
また、名称もそれまでの「ジュビロ磐田スタジアム」から「ヤマハスタジアム」に変更。
後に、この姿が10年ほど続くこととなります。
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[当時のヤマハスタジアム。スコアボードが旧式の状態です。]


■浮上する欠点と大改修へ
ここで一旦、話をジュビロ磐田のチーム、そしてサポーター方面に向けます。
オーロラビジョン付きの立派なスタジアムをホームとしたジュビロ磐田ですが、
02年の完全制覇をピークに、緩やかに弱体化が始まります
次第に順位を下げていく中で徐々にサポーターの数が減り、
いつしかサポーターの応援の声量で相手を上回ることができなくなっていきました。
アウェーならまだしも、ホームでさえほとんどの相手より声量が小さいというのは、
サポーターとしては耐え難い屈辱です。

当然、サポーター集団は状況の改善に着手したわけですが、サポーター減少の原因の
一つとして、スタジアムの構造的問題を指摘しました。
・熱狂的なファンが集まる"ゴール裏"ゾーンが狭く、応援に参加するファンが増えない。
・ホームゴール裏のスタンドに覆いかぶさるように2F席があるため
サポーターの声がコンコース内に反響し、スタジアム全体に声援が響かない。


当時のヤマハスタジアムに行ったことがある方であればお分かりのことと思いますが、
確かにホーム側もアウェー側もゴール裏が狭く、応援に参加するサポーターの数が
限られてしまうという状況ではありました。
しかも、スペースだけでいえばアウェー側の方が広かったんです。
2つ目の構造問題については、全盛期は同じ構造でもサポーターの声は響いていたので
大きな原因とは考えられませんでしたが、声が籠りやすい状況であったことは
事実ではありました。

サポーター集団はスタジアム所有者であるヤマハ発動機に対し、改修要求を提出。
長い協議の結果、ついにスタジアムの大改修が決定。
2012年シーズン終了後から、工事が開始されました。


■ヤマハスタジアム再誕
2013年夏、前年の冬から行われていた工事が終了し、生まれ変わった
スタジアムのこけら落としが行われました。
大まかな改修内容は、下記の通りです。

・サポーターの割り当てを変更。
 アウェーサポーターは北側スタンドの2Fへ、磐田サポーターは南側スタンドへ。
・南側スタンドを大拡張。全席固定化し、一部を屋根でカバー
・南側スタンドとバックスタンドをスタンド内で直結
・オーロラビジョンを北側スタンド2F上部に移動
・開場以来設置されていたスコアボード撤去

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[改修前]

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[改修後]


とりあえず簡単にまとめるなら、「今までアウェーサポーターが使っていたスタンドを
新築レベルで建て替えて大拡張したよ。でもそのスタンドはホームサポーター用だよ。
アウェーサポーターは反対側の2Fへどうぞ。あ、ビジョンは見えないよ

ということです。
ちなみに、北側の1Fには磐田サポーターが割り当てられているので、
現在のヤマハスタジアムは両ゴール裏に磐田サポーターがいることになります。
一時のキンチョウスタジアムを凌ぐほどの「えこひいきスタジアム」ですね。
(クレーム入っても知らんぞw)


こうして、ヤマハスタジアムは現在の姿に至ったわけです。
以上、ヤマハスタジアムの歴史でした。

最終夜では、現状と今後についての意見を書きます。

 

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