■『通訳日記』はどのように書かれているか

 一部がスポーツ誌『Number』で連載されたあと書籍化された『通訳日記』をようやく読んだ。『Number』では今年のワールドカップ期間中の記述だけだったが、書籍となった本書はサブタイトルの「ザックジャパン1397日の記録」とあるように、矢野がザックと出会う直前からストーリーが始まる。
 本書をもっとも素直に読むなら、あくまで矢野の日記を圧縮した文章だという点に過ぎない。日記はあくまで日記なので、当然矢野が矢野の書きたいように書いている。書籍化を前提としてないだけあって、いまになって分かるオフレコ話がかなり多い。
 たとえば最終的にブラジルに行った23人には選ばれなかったものの、ザックが誰をどのように評価していたのかが具体的な言葉(断片的ではあるものの)で語られるのを読むのはなかなかに面白い。
 家長昭博と柏木陽介は途中まで他の常連組とも遜色ないほどの評価を受けていたことが分かるし、ブラジル行きの最後の一人が大久保ではなく、中村憲剛、細貝萌、そして南野拓実であるかもしれなかった。少なくとも矢野大輔が明かす舞台裏には、そうした事実があった。

 『通訳日記』は2010年の夏からスタートし、2014年のブラジルワールドカップで終わる。 大学ノート19冊にも及んだという日記の中で書籍になった部分がどれだけの量を占めるかは分からないが、書籍の中で一日分に割り当てられているページの量を踏まえるとかなり圧縮されていると言っていいだろう。
 矢野は元々19冊に及ぶ通訳日記を、いつか子どもに見せるために書いたようだ。代表の通訳という仕事柄、家を空けて出ることが多い矢野にとって、子どもたちに自分の経験をつまびらかに伝えるための、父親としての面目を集約した文章でもあったのだろう。それがさらに要約されて書籍化されたので、矢野の子どもにとっては19冊の膨大なノートの前に通る入り口として、ふさわしいかもしれない。 

■このエントリーの目的

 というように、概要と雑感はこんなところにして、単に内容だけをつらつら説明してもつまらないので本題に入ろう。
 本題はタイトルに書いたとおり、 「なぜコートジボワールに負けたのか」ということ。より具体的には、なぜワールドカップの初戦でコートジボワールに勝てなかったのか(1-2で負けてしまったのか)ということだ。
 単にコートジボワール戦の敗戦の要因を探るだけならもちろんゲームを見ればいいし、すでに書かれているゲームのレビューをいくつも読めば妥当なものは見つかるだろう。1-0でリードしたあとに思い切った展開ができなかったとか、1-0で先制したものの終止体が重たかったこととか。あるいは後半に途中出場したドログバをリスペクトしすぎたこと、などがすぐに思いつく。
 『通訳日記』の該当箇所を読んでもいくつかの要因らしきものが書かれている。 香川と長友のサイドが守備面で脆弱だったこと、攻撃はプラン通りにいかずチーム全体の重心が下がったこと、交替のタイミング……

  さて、このエントリーではこのゲームの敗因を、『通訳日記』に書かれてある記述をもとに少し迂回して読み解いていきたい。 つまり、何が遠因となってコートジボワール戦の敗戦につながったのかを探し求めたい。
 一種の仮説的なものであって唯一の答えを提示するわけではない。あの試合で負けた理由は実はこうではなかったのか、という一つの解釈を提示することが『通訳日記』に書かれてある4年間のスパンの記述を利用することでできるのではないか。前置きが長くなったけど、それがこの記事の目的だ。

■なぜ「自分たちのサッカー」ができなかったのか 

 ワールドカップの始まる前から「自分たちのサッカー」 という言葉が選手の口やマスコミの文言に何度も上がった。簡単に言うと、相手どうこうよりもまず自分たちの持ち味を出せるサッカーをしようというところだろう。
 この言葉自体というよりは、なぜこの言葉が何度も登場するようになったかを考えてみたい。一つは2010年の南アフリカワールドカップの戦い方に「自分たち」らしさを感じなかった当時の主力メンバーたちのリベンジという文脈があるだろう。今度こそは、引いて守るのではなく対等に向き合って攻めることで相手を制したいという流れだ。
 あるいは、ブラジル大会での組み合わせが2010年のオランダや2006年のブラジルのような 、10回やって1回も勝てない相手ではなかったからこそ、「自分たちのサッカー」という言葉がメディアを通じてより流布するようになったのかもしれない。

 そしてもう一つ、今回の代表は「自分たちのサッカー」で善戦した結果を経験として持っていたことも挙げられる。2012年のフランス戦、2013年のイタリア戦とオランダ戦、そしてベルギー戦といったように、イタリアをのぞけばいずれも2014年のブラジルで決勝トーナメントに進んだ相手と互角以上の勝負をした経験を、今回の代表は持っていた。
 しかし、2010年とは違った方法でアプローチするというその意思は、たとえうまくいった経験を持っていたとしても2014年のワールドカップの初戦で生きることはなかった。ギリシャ戦、コロンビア戦と比べても、もっとも持ち味を出すことができず、1-2という結果以上に完敗になってしまった。これはなぜなのか。

 『通訳日記』のpp.224~232に一つのヒントがある。2013年のコンフェデ杯でブラジルに完敗し、イタリアに善戦するまでの合間の期間の記述だ。
 ここでザッケローニは代表がメンタル面で不安を露呈する場合が二つのパターン存在すると選手に向けて話している。一つはフレンドリーマッチで集中力を欠くこと、もう一つは完全アウェイで怯んでしまうという状況だ。(p.230)
 コートジボワール戦は完全アウェイとは言えないまでも、1-0でリードしながらドログバやジェルビーニョといったフィジカルの強い選手に対して怯んだことは否定できない。それも短時間ではなく、かなり長い時間を通じて選手は相手に対して怯み、リードしていた前半の時点でチームの重心が下がってしまっていたことが『通訳日記』にも記述されている。

  これだけの条件を書き出すと、1-0というスコアはたまたま獲得したものであり、スポーツなので確実ではないものの逆転負けという可能性を色濃く残したまま前半を終えたことになる。
 また、後半にドログバを投入したコートジボワールと違って、相手を怯ませる交代カードを切ることもできなかった。大迫に代えて投入された大久保も、短期間での合流だったせいかかみ合っていたとは言えないし、よって相手の脅威になることができなかった。

■コンセプトの共有、インテンシティ、幅を出す

 では逆に、どうすればコートジボワールに勝てたのだろうか。これこそあくまで仮定でしかないが、コートジボワール戦での敗戦に欠けていた条件を今度は探してみよう。

 話をもう一度2013年のコンフェデ杯に戻す。ブラジルに0-3で敗れたもののイタリアに3-4で善戦した代表に対して、ザッケローニは「結果に結びついてもよかった」(p.256)と語っている。その上で欠けていたのはディティールでの詰めの甘さである。
 より具体的には、p.236に書かれてあるザックの言葉を借りると、コンセプトの共有、インテンシティ、幅を出すというポイントが挙げられる。注目すべきは、イタリア戦の敗戦をどうすれば回避できたかを述べる際に、「2012年の6月のシリーズ」のようにと挙げていることだ。
 2012年の6月と言えばワールドカップ最終予選の3連戦、オマーン戦(3-0)、ヨルダン戦(6-0)、オーストラリア戦(1-1)を経験したシリーズだった。ただこれはアジアの試合であって、ヨーロッパや南米とは比較することが難しい。と、多くの人は考えるだろう。筆者もどちらかと言えばその立場だ。
 しかしザックの頭の中には、相手がどこであっても先ほどの三つのポイントを抑えて、かつディティールの詰めの甘さをなくせばいいサッカーができると考えている節がある。
 これは面白いことに、先ほど書いた「自分たちのサッカー」という選手達の理念とも近い。 もっとも、ザックの頭にあるやりたいサッカーと、選手たちの「自分たちのサッカー」が相似形かというと、そうではないかもしれないが。

 また、2013年10月の欧州遠征、ベラルーシ戦とセルビア戦のシリーズを終えたあとにも、ザックはインテンシティ、ダイナミズム、ワイドさの三つが欠如していたと選手たちに話している(p.288)。ダイナミズムという要素はワイドさやインテンシティと結びついている要素だから、先ほどど言っていることはさほど変わっていない。
 この欧州遠征では、「自分たちのサッカー」を出すことができず、選手の間にもマスコミの間にもフラストレーションがたまっていた時期だった。それでもザックの頭の中で一貫している。アジアでも、コンフェデでも、そしてヨーロッパでのフレンドリーマッチでも、やろうとしていること自体は大きな違いはない。
 だからこそ大きくやり方を変えずに、11月のオランダ戦とベルギー戦での結果につながった、と解釈することもできるだろう。結果を差異したのは、ザックがやろうとしていたことができたか否かであり、選手の戦術の大きな違いではないのだ、と。

 であるならば、ワールドカップ初戦という予選通過を決めた代表にとって最も重要な一戦に位置づけられるコートジボワール戦で、ザックのプランはなぜ成功しなかったのか。

■再び、コートジボワールになぜ勝てなかったのか

 ではもう一度コートジボワール戦を再考してみよう。相手に対して怯んだのはかつても似たようなゲームがあったがゆえの可能性を提示した。過去に起きたことが本番でも修正できずにおきてしまった、というパターンだ。
 同様に、インテンシティ、ワイドさ、ダイナミズムといったコンセプトをどれだけ共有できていたかという視点からも見てみよう。失点シーンで欠如したのは守備面でのインテンシティだと思われる(2失点とも同じようなパターンからの失点だったので、とりわけ2点目は集中力が欠けていたと言ってもいい)が、ワイドさの欠如がダイナミズムをもたらせられなかったことがゲーム全体を振り返るとより大きな要因として考えられる。
 だから結果的に、ワールドカップ初戦という大事な場面でベラルーシ戦、セルビア戦と同じ失敗をしてしまったのだ。オランダ戦やベルギー戦で見せたプレー内容は、コートジボワール戦のピッチにはなかった。

 ワイドさ、ダイナミズムの欠如の要因は、長谷部と遠藤を併用できなかったこととも無縁ではない。遠藤がいれば幅をもたらすこともできるし、長谷部がいれば攻撃ではダイナミズムが生まれ、守備では全体が引き締まる。なによりみんなのキャプテンがいるかいないかでは、チーム内での集中力にも差が生まれたかもしれない。
 もっとも、0-1で破れたベラルーシ戦でも、2-2で善戦したオランダ戦でも長谷部と遠藤は併用されていないので、この二人の不在がチームの不調の直接的な原因ではないのだろう。
 ただ、チームの根幹であるポジションでもあり貴重なベテランでもあるこの二人は、メンタル面から見ても大きな要素ではあったはずだ。それはこの二人と本田を加えた「HHEミーティング」と呼ばれる密度の濃い議論が何度も何度も交わされていることからも、見てとれる。

■『通訳日記』をより面白く読むために 

 最初に書いたように『通訳日記』はあくまで舞台裏的な日記で、ザックや選手の発言部分は事実ベースだとしても、矢野大輔のエモーショナルなコメントも多々ある。参考資料の一つとして、と記事タイトルにも打ってあるが、この本もつまるところザッケローニ体制を振り返る一つの材料でしかない。しかし、かつてはなかったタイプの材料であり、味わいながら読むのは非常に面白い。 
 そもそもどのように読めばいいのかについては、『Number』が866号で『通訳日記』特集を組んであるのでそちらを読むのもいいだろう。両方買ってね、という文藝春秋の体のいい売り方だとは思うけど、トルシエ、オシムの通訳をつとめたダバディ、千田氏の対談や、ザックファミリーを4年間つとめたコーチ陣のコメントなど、思ったより読み応えがある。ジャーナリストの記事はいいのと悪いのとが半々くらいだったけどね。

  
Number(ナンバー)866号 「通訳日記」で読み解く14の教訓 ザックジャパンの遺産。 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィックナンバー))
Number(ナンバー)866号 「通訳日記」で読み解く14の教訓 ザックジャパンの遺産。 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィックナンバー)) [雑誌]


 今回のエントリーは『通訳日記』からコートジボワール戦の敗戦の要因がどの程度解釈できるのか、という試論めいたものなので、多くが結果論的な記述になった。
 けれども、サッカーのみならずスポーツにも多くの科学的分析が導入される現状では、こういう過去のエビデンスから遡ってゲームの敗因を探しだすような取り組みはもっとあってもいいと思っていたし、かなり雑にはなったが今回の成果は一応上に示した。
 結論自体は、ありふれているというか、そりゃあそうだよなと感じる人も多いと思う。ただ今回この記事を書いてみて面白かったのは、そうしたありふれた結論はすでに過去に何度も繰り返し認識されていることなのだということだ。それも一貫して認識されている。
 問い直すべきは、「なぜその一貫性がもっとも重要な場面で効果をもたらさなかったか」であり、「どのようにすればもっとも重要な場面で一貫性を発揮することができるのか」であるかもしれない。
 たとえば、ゲームの細かな戦術的なレベルの議論が必要だったのではなく、大局的に見たときの(とりわけ、コンフェデ杯~W杯までの最後の一年間の)戦略的なレベルでのチームマネジメントの可能性を、探るべきだったのではないか。(ただし、すでに長くなったので今回はここまでやりません)

 独立変数、従属変数という概念(説明変数、被説明変数と言い換えるときもある)がある。
 今回はコートジボワール戦の敗戦を従属変数として、敗戦につながった独立変数を探す旅を『通訳日記』という資料を片手にしてきたつもりだ。もっとも、より精緻な分析を行うには一冊の本だけでは資料が少なすぎるので、あくまでもお遊び的な、試論めいたものである。
 神は細部に宿る(という言葉も何度かザックは語っていた)し、ミステリー小説ほどでなくとも過去に伏線は必ずある。スポーツはすべてが必然ではないが、過去に多くのヒントがあるのだ。
 これまでの4年間を振り返る本を読む前にこのような心がけをしてみてはどうだろうかという一つの提案をして、この長い記事を締めくくりたい。