共同ブログだからこそ展開できる企画とも言える「住民意見交換会」

普段は好き勝手書いている各住民が、その日だけは1つのテーマで何かしら書いてみるという企画。

そのタイトル自体のネーミングセンスへの評価は一旦置いておくとして、はてさて、何人の住人が参加してくれたのでしょうか。

テーマ選定は本当に迷いました。

誰もが何かしら書けそうな、でも少し迷いそうな、そんなテーマにしてみたつもりです。


議題:「サッカーの世界に入った経緯」


簡単そうで難しかったですかね。

特に奇をてらうような記事は想定していませんでしたが、果たしてどうでしょうか。

全体で最後の投稿になるであろう私ですが、実は10月15日を迎えてもどう書こうか決まっていません。

というか、過去に少し書いてるんですよね。この手の内容を。



初期に書いたこの記事で、何故私がサッカーの世界に入ったか。その経緯については書いてあります。
もちろん、浦和レッズで無ければならない理由(のめり込んだ理由)も書いてあります。

この記事が私を困らせた最大の理由です。

ということで、少し解釈を拡大させたいと思います。


「私がサッカーの世界に戻ってきた経緯」



え、ずるいですか?

全然ずるくないですよ。

だって、私はオーナーですから!
(まあ、実際はこれくらいの拡大解釈は自由にしてもらってOKという認識だった)


上で紹介している記事にも書いたように、私がサッカーに出会ったのは幼稚園時代の友人がきっかけで、小学生にあがりその友達と一緒に少年団に入った。
しかし、とにかく上手くなれなかった。
練習にもほぼ休まず行ったのだが、とにかく試合の中ではほとんど活躍できなかった。

実際、喘息持ちだったこともあり、短いダッシュの繰り返しは発作を引き起こす要因にもなっていた。
⇒ 実際の試合中に発作を起こしたことはないが、試合終了後に吸引薬を吸うことは結構普通だったし、今でも正直細かいダッシュを繰り返すのは厳しい時もある。

幼稚園~小学生時代には水泳も並行して習っていた。
「喘息には水泳が良い」という医者の進言もあってのことだった。

自分で言うのもなんだが、サッカーよりも明らかに水泳の方が向いていた。
特に、平泳ぎと背泳ぎが得意で個人メドレーなどもそこそここなせていた。
もし、中学生に上がった際にサッカーではなく水泳を選んでいれば、少なくともサッカーよりは高いステージで勝負できていたように思う。

でも、中学生上がる時に何故かサッカーを選んだ。
この選択が果たしてベターだったのかどうかは、未だに自分の中で決着がついていない部分でもある。
実際、中学時代のサッカーとの関わりは苦しみしかなかったように思う。
2年半、部活を引退するまでの間、左膝の成長痛の影響でまともにボールが蹴れた時期は短かった。
(中学3年間で30cm以上身長も伸びた)
毎週のように整形外科に通い、炎症を抑えながら騙しだましサッカーを続ける日々。
身長は伸びても体重は思ったように増えず、体格は非常に細い体型。
覚悟は出来ていたのだが、後輩にポジションを奪われる時期もあった。
そのことを馬鹿にされるような時期もあった。
まあ、子供の戯言に過ぎないようなものではあったが、当時の自分には結構キツかった。

中学の部活動を引退する前から、「もう部活動としてサッカーは2度とやらない」と決めていた。
最後の方は、彼らとサッカーをすることが苦痛でしかなかったし、帰り道でサッカーの話をするのも嫌だった。
この頃になると、「勝負」が関わる中でのサッカーに楽しさを全く見いだせなくなってしまった。

部活動の仲間が嫌いなわけではない。
互いの生活権が離れた今でも、大切な友達であると自信を持って言える。

ただ、彼らとサッカーをすることだけはどうしても嫌だった。
大人になってからの飲み会の場で、当時の話をするのも苦痛でしかなかった。
正直、今でもこの気持ちは変わっていないと思う。

実際、中学の部活動引退後に、彼らとボールを蹴ったのはおそらく一度だけ。
それも、大学生になってから海水浴に行った際の浜辺で蹴ったレベル。

高校生になり、部活動はバドミントン。
まあ、サッカーとは完全に無縁の世界に行くことになる。
サッカーをする機会といえば、体育の授業でやるサッカーと、球技大会の時くらい。

大学生になっても、体育の授業でサッカーを選ばずにバドミントンを選んだ。
そして、フルマラソンへの挑戦も始めた。

サッカーとの距離は離れる一方です。

・・・。


さて、このあたりまでくるとそろそろ「?」と思う人が出て来る頃かもしれない。

「お前、レッズはどうしたんだ?」と。


その通りですよね。

浦和レッズに関してですが、中学でサッカーと離れてからもテレビでは見ていました。
今とは違い、テレ玉で毎節のように放送してくれてましたから、そこそこ見てました。
ただ、スタジアムに積極的に行こうと思うまでの感情は、あの時までは出てきませんでした。
お金も結構掛かるしね。

そうです、ちゃんときっかけがあるんです。
当たり前じゃないですか、ここまで引っ張ったんですから・・・。

で、それがなにかというと。

「友達について行く形で入った大学のゼミの先生がレッズサポだったのです。」


読者の皆様:「・・・」

皆様の反応はよくわかります。

これだけ引っ張っておいてそんなことかと。

でもね、きっかけなんてそんなもんだよ。

先生と飲みに行くたびにレッズや代表の話をするに連れて、「サッカーを見たい」という欲望がこれまでにないくらい膨れ上がってくることになる。
これは、先生がうま~く会話を作ってくれていたことが要因の一つであることは間違いない。

私は自然に埼スタのチケットを買っていた。

Jリーグ創成期のころは家族で見に行くこともあったが、代表戦以外で自分でレッズ戦のチケットを買ったのは、ここが初。

それからは、みなさんご存知の通り「暇さえあれば埼スタ」状態。

自分の中に占める「サッカーを見る」という割合が日が昇る度に増えていくような状況。

小学生の頃に「夢」として捉えていた浦和レッズ

レッズ戦に通い始めることで、拙い知識の中で「自分が見たレッズ」のようなものをもっと公に表現することを求めるようになる。

そこで登場しました「ニコニコ生放送(黒歴史)」。

途中からは表現することよりも、如何にして暴れてやろうかということしか考えていなかったように思いますが、まあ、今となってはいい思い出です。



ここまでくれば、もう想像できる方もいるかと思います。

私、たぶんフットサルオフがなかったら、今でもボール蹴ってなかったかもしれません。

きっかけなんてそんなもんだよ。

まあ、そういうことです(これ以上は言わないよ)。



ポンチョビ