みなさんこんばんは。
夜磐です。
2024年2月で、当ブログは開設から10年を迎えます。
10年前のちょうど今日、2014年2月9日に、私は最初の記事を投稿しました。
節目ということで、既に下火となっている場所ではありますが
昔のことやこの10年のことをいろいろ書いてみようと思います。
10年前、管理人の方から当ブログに誘ってもらったのは、
退職や引越し等で生活に変化していた頃でした。
引越しは未遂に終わったのですが、慣れ親しんだ方々とコミュニケーションを
取れる場を頂けたのは凄く嬉しく感じたことを良く覚えています。
自己紹介記事を見ていると、文言選びの端々から若さを感じます。
好きな選手として挙げていた加賀選手が今でも現役なのは感慨深いところ。
あとは、自由記入欄で「局地的な意見を発信する」と記載しているのは、
当時と今で考えが共通しているところですね。
結局のところ私はサッカーが好きというよりもジュビロ磐田のことが
好きだったのであって、包括的にサッカーを見る意思は当時からなかったのでしょう。
良くも悪くも、サッカーファンとしての自分の限界を悟っていることが
垣間見えて、そんなところが自分で良いなと思います(笑)
10年間での投稿数は、本記事をもって105。
大半が前半5年に偏っていますが、よく書いたなと思います。
ありがたいことにたくさん閲覧頂いた記事もある中で、
彼について語る時はどうしても歯切れが悪くなってしまうのですが、
あの時だけは無理なく自然に想いを綴ることができました。
恐らくあれ以上の形で奥大介さんのことを語ることはできません。
受けは悪かったですが、とても印象に残っています。
次は、ジュビロ磐田の話。
10年前のジュビロ磐田は、初めて経験するJ2の開幕を控えていました。
それから現在までの10年で昇降格を繰り返し、J1とJ2に5年ずつ在籍。
言うまでもなく、それまでの歴史と比較して衰退の10年となりました。
その衰退は一昨年にピークを迎え、契約問題に起因し補強禁止という
Jリーグでは前代未聞の処分をFIFAから下された時は大いに落胆したのですが、
昨年は成績面では意外な健闘を見せました。
強ければ品性が不要になるわけではありませんので、
あの愚かしい失敗が解消されたことにはなりませんが、
それでも応援してくれる人がいるのは素晴らしいことだと思います。
昨年ジュビロ磐田はホームタウン拡張に踏み切り、事実上の支配地だった
我が故郷の浜松市を含む静岡県西部を名実共に取り込みました。
ただし、これで自治体からの支援が手厚くなるという単純な話でありません。
生まれ育ったからこそわかる、かの地特有の難しさがあり、この件によって
遅かれ早かれ大きな痛みを伴う構造改革が要求されることが予想されます。
政令指定都市でありながらこれまでプロサッカーチームが存在しなかったという
事実は決して偶然ではなく、明確な理由に基づく巡り合わせの結果。
そしてそれは未だに改善に至っていません。
「ホームタウン拡張が流行ってるし、他に取られる前に唾つけとくか」程度の
認識で手を出していたとしたら、むしろ甚大なしっぺ返しを
食らうことになります。
ジュビロ磐田がその辺りをきちんと認識していることを祈るばかり。
私は以前より少し遠くから観察させて頂くこととします。
距離感は変わってもサッカー観戦の趣味がなくなったわけではなく、
磐田に関連しない試合もまだ見に行っています。
コロナ禍ではさすがに一切を自重していましたが、
昨年は数試合ほどJ1からJ3、高校サッカーまで現地観戦。
やはりサッカー観戦は楽しいですね。
特に昨年のJ1昇格プレーオフ決勝の東京V-清水戦は、時期的な要素もあって
個人的に2023年のハイライトの一戦でした。
図らずも高みの見物のような形になってしまい両チームのファンの方々に
あまりにも礼節を欠くため自重しましたが、本心ではこの試合について
個別記事を作成したいほどにたくさんの思いが頭を巡りました。
最後の高橋のタックルは、瞬間的に「ファウルじゃない」と思ったので、
少し遅れてPK判定が下された時はとても驚きました。
DAZNで実況が「PKーー!!PK!?!?PK!!」と絶叫していたのですが、
私もまさにあんな感じ。完全に清水が勝つ流れだったので、
あんなことになるとは全く予想できませんでした。
あの試合から2ヶ月が経ち、さすがにインパクトは薄れました。
ただ、間違いなくJリーグ史に残る一戦だったかと思います。
最後に、日本代表について。
この10年、良い時も悪い時もあった日本代表ですが、概ね成長は続いていて、
特に昨年は飛躍の一年だったと思います。欧州で活躍する選手も増え、
つい数年前と比較しても選手の質は明らかに向上しています。
次々といろんな良い選手が出てきて、戦術的にもスキル的にも
私の理解の及ばない次元になってしまい、昔のように私が認識できる程度の
チームではなくなってしまったのは少し切ない気もします。
ただ、強くあるためにはそうであるべきなので、
これからも今の方針で強くなっていってほしいと思います。
とかなんとか言ってたら、先日のアジアカップでは準々決勝での敗退や
試合内容についてSNSを中心に大紛糾しましたね。
やはりサッカーは簡単ではありません。
私は試合内容について批評する気はありませんが、ピッチ外で一つだけ。
選手達には批判はあんまり気にしないでほしいな、と思います。
これは、プロなんだから批判されて当たり前いちいち凹むなとかいう
わけではなくて、応援している人の声を聞いてほしいなということです。
日本代表クラスの選手になると、批判はされますがそれと同じかむしろ
多いくらいの応援の声があるはずです。批判を気にして落ち込まれると、
批判する声の方がよく届いていて自分の応援はあんまり届いていないのかなと
愛が重いヤツみたいな葛藤を抱いてしまう人がいます。
少なくとも私はそうです。
選手が批判に落ち込んでいるという記事をけっこう目にしたので、
そこがけっこう気になりました。
なかなか難しいことですが、応援してくれる人に意識を向けて
くれたら、ファンの人も応援し甲斐があるかなと思います。
書きたいことが全部書けたので、
本記事はこれで終わりとします。
あ、本当に最後に一つだけ。
今の私は10年前よりもサッカーから距離が空いているのは事実ですが、
それでも上記の通り時折サッカー観戦に足を運んだり、
自分でフットサルをプレーしたりと、私の生活からサッカーが
完全に消えてなくなることはありませんでした。
恐らく私は今後も、何かの形でこうやって自分の近くのどこかに
サッカーがある生活を続けていくのだろうと思います。
私なりに一生付き合っていける距離感を見つけたのかなと。
これが私なりの "百年構想" ということで、
この10年を総括することにします。
夜磐です。
2024年2月で、当ブログは開設から10年を迎えます。
10年前のちょうど今日、2014年2月9日に、私は最初の記事を投稿しました。
節目ということで、既に下火となっている場所ではありますが
昔のことやこの10年のことをいろいろ書いてみようと思います。
10年前、管理人の方から当ブログに誘ってもらったのは、
退職や引越し等で生活に変化していた頃でした。
引越しは未遂に終わったのですが、慣れ親しんだ方々とコミュニケーションを
取れる場を頂けたのは凄く嬉しく感じたことを良く覚えています。
自己紹介記事を見ていると、文言選びの端々から若さを感じます。
好きな選手として挙げていた加賀選手が今でも現役なのは感慨深いところ。
あとは、自由記入欄で「局地的な意見を発信する」と記載しているのは、
当時と今で考えが共通しているところですね。
結局のところ私はサッカーが好きというよりもジュビロ磐田のことが
好きだったのであって、包括的にサッカーを見る意思は当時からなかったのでしょう。
良くも悪くも、サッカーファンとしての自分の限界を悟っていることが
垣間見えて、そんなところが自分で良いなと思います(笑)
10年間での投稿数は、本記事をもって105。
大半が前半5年に偏っていますが、よく書いたなと思います。
ありがたいことにたくさん閲覧頂いた記事もある中で、
個人的に一番印象深いのは元磐田の奥大介さんが亡くなられた時に
投稿した記事です。
私にとって奥大介さんは語るのがなんとも難しい方で、彼について語る時はどうしても歯切れが悪くなってしまうのですが、
あの時だけは無理なく自然に想いを綴ることができました。
恐らくあれ以上の形で奥大介さんのことを語ることはできません。
受けは悪かったですが、とても印象に残っています。
次は、ジュビロ磐田の話。
10年前のジュビロ磐田は、初めて経験するJ2の開幕を控えていました。
それから現在までの10年で昇降格を繰り返し、J1とJ2に5年ずつ在籍。
言うまでもなく、それまでの歴史と比較して衰退の10年となりました。
その衰退は一昨年にピークを迎え、契約問題に起因し補強禁止という
Jリーグでは前代未聞の処分をFIFAから下された時は大いに落胆したのですが、
昨年は成績面では意外な健闘を見せました。
強ければ品性が不要になるわけではありませんので、
あの愚かしい失敗が解消されたことにはなりませんが、
それでも応援してくれる人がいるのは素晴らしいことだと思います。
昨年ジュビロ磐田はホームタウン拡張に踏み切り、事実上の支配地だった
我が故郷の浜松市を含む静岡県西部を名実共に取り込みました。
ただし、これで自治体からの支援が手厚くなるという単純な話でありません。
生まれ育ったからこそわかる、かの地特有の難しさがあり、この件によって
遅かれ早かれ大きな痛みを伴う構造改革が要求されることが予想されます。
政令指定都市でありながらこれまでプロサッカーチームが存在しなかったという
事実は決して偶然ではなく、明確な理由に基づく巡り合わせの結果。
そしてそれは未だに改善に至っていません。
「ホームタウン拡張が流行ってるし、他に取られる前に唾つけとくか」程度の
認識で手を出していたとしたら、むしろ甚大なしっぺ返しを
食らうことになります。
ジュビロ磐田がその辺りをきちんと認識していることを祈るばかり。
私は以前より少し遠くから観察させて頂くこととします。
距離感は変わってもサッカー観戦の趣味がなくなったわけではなく、
磐田に関連しない試合もまだ見に行っています。
コロナ禍ではさすがに一切を自重していましたが、
昨年は数試合ほどJ1からJ3、高校サッカーまで現地観戦。
やはりサッカー観戦は楽しいですね。
特に昨年のJ1昇格プレーオフ決勝の東京V-清水戦は、時期的な要素もあって
個人的に2023年のハイライトの一戦でした。
図らずも高みの見物のような形になってしまい両チームのファンの方々に
あまりにも礼節を欠くため自重しましたが、本心ではこの試合について
個別記事を作成したいほどにたくさんの思いが頭を巡りました。
最後の高橋のタックルは、瞬間的に「ファウルじゃない」と思ったので、
少し遅れてPK判定が下された時はとても驚きました。
DAZNで実況が「PKーー!!PK!?!?PK!!」と絶叫していたのですが、
私もまさにあんな感じ。完全に清水が勝つ流れだったので、
あんなことになるとは全く予想できませんでした。
あの試合から2ヶ月が経ち、さすがにインパクトは薄れました。
ただ、間違いなくJリーグ史に残る一戦だったかと思います。
最後に、日本代表について。
この10年、良い時も悪い時もあった日本代表ですが、概ね成長は続いていて、
特に昨年は飛躍の一年だったと思います。欧州で活躍する選手も増え、
つい数年前と比較しても選手の質は明らかに向上しています。
次々といろんな良い選手が出てきて、戦術的にもスキル的にも
私の理解の及ばない次元になってしまい、昔のように私が認識できる程度の
チームではなくなってしまったのは少し切ない気もします。
ただ、強くあるためにはそうであるべきなので、
これからも今の方針で強くなっていってほしいと思います。
とかなんとか言ってたら、先日のアジアカップでは準々決勝での敗退や
試合内容についてSNSを中心に大紛糾しましたね。
やはりサッカーは簡単ではありません。
私は試合内容について批評する気はありませんが、ピッチ外で一つだけ。
選手達には批判はあんまり気にしないでほしいな、と思います。
これは、プロなんだから批判されて当たり前いちいち凹むなとかいう
わけではなくて、応援している人の声を聞いてほしいなということです。
日本代表クラスの選手になると、批判はされますがそれと同じかむしろ
多いくらいの応援の声があるはずです。批判を気にして落ち込まれると、
批判する声の方がよく届いていて自分の応援はあんまり届いていないのかなと
愛が重いヤツみたいな葛藤を抱いてしまう人がいます。
少なくとも私はそうです。
選手が批判に落ち込んでいるという記事をけっこう目にしたので、
そこがけっこう気になりました。
なかなか難しいことですが、応援してくれる人に意識を向けて
くれたら、ファンの人も応援し甲斐があるかなと思います。
書きたいことが全部書けたので、
本記事はこれで終わりとします。
あ、本当に最後に一つだけ。
今の私は10年前よりもサッカーから距離が空いているのは事実ですが、
それでも上記の通り時折サッカー観戦に足を運んだり、
自分でフットサルをプレーしたりと、私の生活からサッカーが
完全に消えてなくなることはありませんでした。
恐らく私は今後も、何かの形でこうやって自分の近くのどこかに
サッカーがある生活を続けていくのだろうと思います。
私なりに一生付き合っていける距離感を見つけたのかなと。
これが私なりの "百年構想" ということで、
この10年を総括することにします。
皆様も、素敵なサッカーライフを!